エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【231】|MK新聞連載記事

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エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【231】|MK新聞連載記事

MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めてくらしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2008年9月1日号の掲載記事です。

本だけ眺めてくらしたい

書店で長いあいだ立ち読みをしていると、なぜか便意(大)を催してくる……本好きなら一度は耳にしたことのある疑問だろう。
「ある、ある!」とか「そう言われてみると、私も」など、友人とこの話で盛り上がったことのある人もいるに違いない。
で、「なぜだろう」ということになり、「少し歩いたり立ち止まったりという身体の動きが影響しているのでは?」とか「本の印刷インクのにおいが関係している!」とか、いいかげんな仮説を立てたり、議論したり。

雑誌か何かで、生理学や心理学などの研究者に取材して、書店での立ち読みと便意に科学的?な因果関係があるのかを探る企画があったように記憶している。
調査の結果を覚えていないのは、そんなものあるはずないと自分では思っていて、適当に眺めていただけだからかもしれない。
休日は、散歩しながら繁華街の新刊書店や古本屋、CDショップなど幾つもの店をまわる。
実際私も書店でトイレに入るが(大はたまに)、それは立ち読みをしたから便意を催したのではなく、一日中外出しているあいだで、単に書店にいる時間が長いから、あるいは大型書店にはトイレがあるから、そこでするのではないだろうか。
散歩というのは、コースや通過ポイントの時間がおのずとだいたい決まってきて、どこでトイレに入るかも習慣化してくるものだ。

河原町三条から四条周辺はかつて多くの書店があったが、ほとんどなくなってしまった。私がよく入ったトイレは、新しい建物になってからの丸善。立派で綺麗なトイレだった。
が、大用の個室が一つしかなかったので、先に誰かが入っていたら、トイレが見える位置で立ち読みしながら様子をうかがって待つか、我慢しながら他の階に行かなければならなかった。
駸々堂京宝店のトイレは臭かった。建物が古くて仕方がなかったのかもしれないけど、正直あまり入りたくなかった。でも、この書店はよく利用したので、しかたなくトイレに入ることも少なくなかった。
よく通った丸善も駸々堂も、今はもうない。
今でも売り場の細部、各棚の本の並びまで思い出せるが、トイレのことも忘れないのが我ながらおかしい。

 

MK新聞について

「MK新聞」は月1回発行で、京都をはじめMKタクシーが走る各地の情報を発信する情報紙です。
MK観光ドライバーによる京都の観光情報、旬の映画や隠れた名店のご紹介、 楽しい読み物から教養になる連載の数々、運輸行政に対するMKの主張などが凝縮されています。
40年以上も発行を続けるMK新聞を、皆さま、どうぞよろしくお願いします。

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MK新聞への大西信夫さんの連載記事

1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。

1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)

 

本だけ眺めて暮らしたい バックナンバー

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