エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【205】|MK新聞連載記事

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エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【205】|MK新聞連載記事

MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めてくらしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2007年8月1日号の掲載記事です。

本だけ眺めてくらしたい

『蝕まれた友情』という本がある。志賀直哉の小説だ。昭和22年、全国書房発行の初版本は、本文用紙が化粧断ちしていない耳つきの手漉き和紙で、ジャケットが京都民芸協会協作部制作の「草木染覆渋刷毛染」。手に取って軽く、本をのせた手のひらやページをめくる指の感触がよく、印字された紙の肌理(きめ)をなぞる視線からも、その心地よさが感じられる。
だからか、この本が手元に二冊ある。すでに一冊持っているのに、古本屋の均一台でとても安く(650円!)売られているのを見つけ、「紙だけでもそれ以上の値打ちがあるのに。気に入った和紙を買うつもりで」とか、「この値で放り出されたら、本がかわいそうだ。ここから助け出してやろう」とか、「こんな本を手に活字を読む楽しさがわかってくれる人がいたら、あげよう」などと、どうせまたわけのわからない理屈をつけて、もう一冊買ってしまったのだろう。

で、購入した時期が異なるので、それぞれ別々の場所に仕舞い込んでいたのだが、最近たまたま二冊同時に手にとって初めて気づいたことがある。本の大きさが微妙に違うのだ。一方が七ミリほど背が高い。しかし、逆に幅はもう一方が七ミリほど広い。同じ発行日の、同じ初版なのに形が不揃いなのである。
材料の紙の問題など何らかの事情があって、この本には縦と横のサイズが異なる二種類のバージョンが存在するのだろうか。それとも、単にアバウトな(「おおらかな」と言ってもいいのだが)造本、成り行きの製造過程で形が微妙に違ってしまったのだろうか。いずれにせよ、この本を三冊、四冊、もっと数多く並べてみなければわからないことではあるが……。

それにしても、戦後に出版された本でも、こういうことはよくあることなのだろうか。小部数で「手づくりの味わい」が売りの高級な出版企画なら考えられなくもないが、この本はそのような本ではなさそうだ。だとしたら、表紙の芯にするボール紙をいちいち異なるサイズで裁断するのは、作業にせよ、紙の取り都合にせよ、おそろしく非効率ではないか。
ご存知の方がいらっしゃったら、ご教示を。

 

MK新聞について

「MK新聞」は月1回発行で、京都をはじめMKタクシーが走る各地の情報を発信する情報紙です。
MK観光ドライバーによる京都の観光情報、旬の映画や隠れた名店のご紹介、 楽しい読み物から教養になる連載の数々、運輸行政に対するMKの主張などが凝縮されています。
40年以上も発行を続けるMK新聞を、皆さま、どうぞよろしくお願いします。

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MK新聞への大西信夫さんの連載記事

1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。

1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)

 

本だけ眺めて暮らしたい バックナンバー

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