エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【177】|MK新聞連載記事
MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めてくらしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2006年6月1日号の掲載記事です。
本だけ眺めてくらしたい
映画『ダヴィンチ・コード』が各国で物議を醸しているらしい。キリスト及びその信仰を冒?しているのだとか。私は映画を観ていないし、本も読んでいないので、詳しいことは知らない。したがって、そのニュースも何となく耳に入って来ただけなのだが、一部で報道されている映画の詳しい紹介、あれはネタバレにはならないのだろうかと心配してしまう。
あるいは、世界中でベストセラーになったぐらいだから、ネタは幾つも複雑に仕掛けられているのかもしれない。実際、観客の感想で「難しくてよく解らなかったが、おもしろかった」には笑ってしまった。そして、この感想は最近の娯楽超大作の傾向を端的に表わしていると思った。
それは、ただひたすら謎が謎を呼び、危機一髪を脱出し、恐怖に脅え、爆発に絶叫する……。要は、刺激的な映像や派手なアクション、意外な展開が、次から次へと繰り出され、わーわー言うてるうちに、ハイ、オシマイ。目のまん前で音や色をちらつかせる「赤ちゃんのガラガラ」のようなタイプの映画だ。
このような映画を楽しむ観客(私も嫌いではない)の反応は二種類。ジェットコースターのように、乗っているあいだだけ大いに楽しむ。もうひとつは、解らなかったところを後で原作を読んだり、DVDで確認したりして、さらに楽しもうとする。というより、近ごろは、パンフレットや原作、DVDを売らんが為に一度観ただけではわからないよう、わざと複雑にしてあるのではないかと思える節が多分にある。
ただ、いきなり観ても客がついてきてくれないと意味がないので、チラシや、情報誌、今回のような報道が、ストーリーや「映画の見方」を単純化して、事前に提供するよう、映画をめぐるビジネス全体の仕組みがそうなっていると言った方がいいのだろう。
ところで、抗議の大騒ぎは逆に宣伝になると思わないのだろうか。また、なぜ原作小説は映画のような大きな抗議運動にならなかったのに、映画は大騒ぎになるのか。小説の読者より、映画の観客の方が「真に受けるバカ」が多いと認識されているということだろうか。それとも、特定の思想や信仰にとって映画の影響力は、恐るべき悪魔なのだろうか。
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MK新聞への大西信夫さんの連載記事
1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。
1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)