エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【318】|MK新聞連載記事
MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めてくらしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2014年10月1日号の掲載記事です。
本だけ眺めてくらしたい
「紙の本のよさ」だとか「紙の本はなくならない」だとか、そういうセリフを、電子書籍が登場してから、ときどき聞くようになった。
でも、どうしてそんなことをことさらに言うのだろう、耳に、目にするたびに疑問に思っていた。
誰に向かって?
今は紙の本を読んでいるのに、電子書籍に流れてしまいそうな人に?
紙の本に愛着を感じている同士に?
何のために?
私は古本が、また新刊も含めて紙の本が好き(それ以前に、紙そのものが好き)だし、処分できない本が自宅を占領している。
一方で、電子書籍も利用するし、せっせと自炊も進めている。
ただ、もし、今、どちらかを選択しなければならないとしたら、もちろん紙の本を取る。
私は「本」についてあれこれ語ったり、現状の電子書籍のいい面、悪い面について批評したりはしても、「電子の本」と比較の上で「紙の本」の優位をわざわざ強調して「口にしたい」とは思わない。
そんなこと、するまでもない。
だから、「誰に向かって?」「何のために?」は反語ではない。
本当にわからないのだ。
利害関係者を見ると、出版社は電子の本でも商売はできる。
紙の本屋が電子の本を敵対視するのはわかる。印刷会社は紙の需要が減るから電子の本は脅威だろう。
でも、大手印刷会社は電子の本の商売に加わっているし、大手の本屋も、ネットを通じて電子の本の販売に乗り出している。
ついでに言えば、紙の本が好きな読者にとっては、採算が取れにくい本が紙では出版されなくなりかねないという心配はあるかもしれない。
でも、現実は、基本的に「本」を読む人が減っているのであって、「電子の本」が「紙の本」の購読者を奪っているのではない。
冒頭に挙げたセリフが、仮に内容に共感できるとしても、それを耳にすると居心地が悪いのは、その点に目を伏せているからではないか。
例えば、タクシー業界もそうでしょう?
今は規制緩和が目の敵になっているが、業界の凋落傾向は、遥かに前の高度経済成長期の終焉にはじまっていたのだから。
現実から目をそらせようとする「敵」や、不振の理由は、いつの世も、どの世界でも創られる。
MK新聞について
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MK新聞への大西信夫さんの連載記事
1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。
1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)