エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【301】|MK新聞連載記事

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エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【301】|MK新聞連載記事

MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めてくらしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2013年5月1日号の掲載記事です。

本だけ眺めてくらしたい

先週買った本にこんな一節があった。
「若い人々に会うと、本が多すぎて選択に困る、いったい何を読んだらいいのかという質問をしばしば受ける」と。よく言われる話である。
亀井勝一郎の『読書論』(旺文社文庫)の第二章「本の洪水」の書き出しだ。1954年だから、およそ60年前。戦後十年も経っていないころに書かれた。本というものは、いつの時代も「溢れ」ていて、若者はその波に「流され」ているようだ。
ひょっとして、古代ローマ遺跡の石版にも同じようなことが記されていたりして。

これもまた先週のことだが、「2013年本屋大賞」が発表された。
今年が十回目で、受賞作は百田尚樹の『海賊とよばれた男』。
「全国書店員が選んだ いちばん!売りたい本」として、投票により決定した。
書店の「本屋大賞」特設コーナーでテレビニュース番組の取材を受けた客が、「本が多すぎて選択に困る。この賞は毎年参考にしている。大賞作品はほとんど読んでいる」と答えていた。
それはともかく、「具体的に読みたいと思う本はないのだが、本は読みたい」とは、いったいどういう心境なのだろう。
これは決して反語ではない。素朴な疑問として、私にはまったく想像することができない。
紋切り型で言ってしまえば、亀井勝一郎が若者から受けた質問は、前時代的な教養主義的読書の一面であり、本屋大賞が近年話題なのは、「プロ」によるランキングのブランドを頼りにハズレを引きたくないという今日的な効率主義、あるいは「快」を共有、共感したいという消費傾向の現われなのだろうか。

いずれにせよ、読む本を自分で選ぶことができない、「この本を読みたい」と思えるような自己がないことに、変わりはない。
読みたいと思う本を見つけた喜びや、読みたい本が自分にある喜び、読みたい本が増えていく喜びなどと、実際に本を読む喜びは、別の二つの喜びであり、それが一連のものとなるとき、喜びは二倍、三倍となる。
そして極論すれば、後者よりも前者のほうが、その喜びは大きいとさえ私は思う。読みたい本がないのなら、他薦の本をいくら読んでもその喜びはそれなりでしかない。

 

MK新聞について

「MK新聞」は月1回発行で、京都をはじめMKタクシーが走る各地の情報を発信する情報紙です。
MK観光ドライバーによる京都の観光情報、旬の映画や隠れた名店のご紹介、 楽しい読み物から教養になる連載の数々、運輸行政に対するMKの主張などが凝縮されています。
40年以上も発行を続けるMK新聞を、皆さま、どうぞよろしくお願いします。

ホームページからも最新号、バックナンバーを閲覧可能です。

 

MK新聞への大西信夫さんの連載記事

1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。

1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)

 

本だけ眺めて暮らしたい バックナンバー

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