エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【300】|MK新聞連載記事
MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めてくらしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2013年4月1日号の掲載記事です。
本だけ眺めてくらしたい
電子書籍が普及し始めた状況を背景に、出版社などを通さず、個人で編集・製作し出版する「セルフ・パブリッシング」が注目されている。
従来の紙の本の自費出版は、費用が数十万円以上かかるし、流通に乗せて販売するのも容易ではない。
しかし、電子書籍なら、自分で製作すればタダでできるし、ネットを通じて読者に直接売ることもできる。
無名の個人でネット販売はハードルが高いのなら、著名な企業のプラットフォーム(仕組み)を利用することもできる。
個人の電子出版を支援するサービスが次々と登場しつつある。
誰もが気軽に、自作の小説やエッセイ、写真集などを公にすることができ、日本(世界)中の人々に読んでもらえる時代が到来した――。
でも、ちょっと待てよ。これと似たセリフは、随分昔に聞いた憶えがある。
1990年代後半にインターネットが普及し始め、一般人が「ホームページ」を立ち上げるようになった頃のことだ。
つまり、二昔も前と同じことを今、またぞろ嬉しそうに言っているのだ。
電子書籍を強引かつ性急に普及させようという勢力と、自陣が整うまでモタモタしていた勢力が、なぜか足並み揃えてスタートを切り、ハードやソフトで新たな消費を喚起しようと躍起だが、そもそも電子書籍とは何かということをここで一度立ち止まって考えておかないと、またもや「失われた二十年」ということになりはしないか。
電子書籍もウェブサイトも複数の「ページ」から成っているが、両者の違いは何か。
単に表紙や本文レイアウトなどが「本」のような見た目をしているかどうかの違いなのか。
無定形で変化し続けるウェブサイトと異なり、電子書籍は適当なまとまりとして固定化、独立したものなのか。有料か無料か、オンラインかオフラインかでは両者は区別できないし……。
紙の本を単にデジタル化するのではなく、音声や動画、クラウドやSNS機能を付加したり、内容の追加や訂正ができるようにするなら、電子書籍はなおさらウェブサイトと似たものになると言えるのではないか。
私たちは電子書籍で出版文化の何を継承し、何を失い、何を生み出そうとしているのか。
そして、何に対価を払おうとしているのだろうか。
MK新聞について
「MK新聞」は月1回発行で、京都をはじめMKタクシーが走る各地の情報を発信する情報紙です。
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MK新聞への大西信夫さんの連載記事
1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。
1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)