エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【287】|MK新聞連載記事

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エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【287】|MK新聞連載記事

MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めてくらしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2012年3月1日号の掲載記事です。

本だけ眺めてくらしたい

ロボットと人間が共演する「ロボット演劇」なるものがある。
平田オリザの脚本・演出で、これまで何作か上演されている。
将来、ロボットが人間のパートナーとして家庭内で利用されることを想定した、ロボットのコミュニケーション能力向上の研究に役立てようという試みだそうだ。
それはとりもなおさず、コミュニケーションとは何かを考えることだし、もちろん、演技や演出、演劇そのものを考えることでもある。
そもそもロボットを研究すること自体、人間の身体や運動の仕組み、意識や心とは何かを考えることだという側面がある。

ある映画監督が俳優に「感情を込めて演技する必要はありません。私の指示通りにきっちりと動いてください」と言ったエピソードを記憶しているが、このことは、間の取り方も含め、プログラムにしたがって動くロボットは、人間の俳優と何ら変わりがないということを示している。
「ロボット演劇」を観ていると、最新SF映画に出てくるような人間と見分けがつかないアンドロイドではなく、いかにもロボット風の姿で、ロボット風の声で、ロボット風の動きであっても、まるで心や感情があるかのように見えてくるから不思議だ。

『ダンゴムシに心はあるのか』(森山徹、PHP研究所)という本が先ごろ出版された。
が、問題は「心があるかのように見える」と「心がある」との認識に何か違いはあるのかということであり、もし現象的に何も違わないとしたら、ロボットにも心があるということになるし、私たちはダンゴムシにだって心を見出すことができる。
自分自身と他者も含め、人には「心がある」という前提で、それをロボットにも持たせられるか、それがダンゴムシにもあるのかという問いは、問いそのものが筋違いとなる。
著者は「ダンゴムシに心はあるのか」という研究を通じて、人間や人間の心を探究している――と紹介することもできるが、逆に、心という概念を通じて、やはりダンゴムシの研究をしているのだと言ったほうがいいような気もする。
心も脳も、五分の魂も、していることは結局のところ「反応芸」なのだとしたら、昨今のテレビにおける凡庸な「芸人」の氾濫は、人類の必然なのかもしれない。
ちょっと大げさ。

 

MK新聞について

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40年以上も発行を続けるMK新聞を、皆さま、どうぞよろしくお願いします。

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MK新聞への大西信夫さんの連載記事

1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。

1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)

 

本だけ眺めて暮らしたい バックナンバー

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