エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【280】|MK新聞連載記事

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エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【280】|MK新聞連載記事

MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めてくらしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2011年8月1日号の掲載記事です。

本だけ眺めてくらしたい

森絵都の新作『この女』(筑摩書房)を読んだ。
震災直前――もちろん、東日本大震災ではなく、阪神淡路大震災直前の1994年後半から95年初頭にかけて、阪神間を舞台にした恋愛小説だ。
物語の語り手で、もう一人の主人公である青年(一人はもちろん、書名の「女」)が住む大阪・釜ヶ崎の変貌を背景に、カジノ構想をめぐって地元のパチンコ王や、ホテルチェーン経営者、政治家、暴力団らが暗躍する姿を横軸に描くとともに、縦軸にちょっと変わった「女」の人生を浮き彫りにしてゆく。
小説は、現在から「あの日」つまり震災の日を、ある人物が振り返る短いプロローグから始まるのだが、今この本を読んで、出版のタイミングと東日本大震災の巡り合わせを意識しない人はいないだろう。
奥付の発行日は5月20日だから、もしかしたら、早ければ四月中には書店に並んでいたかもしれない。
ただ、プロの作家が技術を尽くして書き上げた新作について、その内容ではなく「単なる偶然」に注目されるのは(インタビューで必ず聞かれるはず)、作者にとって内心は本意ではないに違いない。
しかし、発売は東日本大震災の後だが、震災前に脱稿していたからこそ読者は、この小説を素直に読めるのだとも言えるのではないか。

物語は、震災の数日前で終わる。大地震がくることを我らが登場人物たちは知らないのだ。
彼、彼女らがその後どうなったかはわからない。それは、まったくの運……ついこのあいだ、東日本大震災で目の当たりにしたように。
小説の主人公だから生き残るとは限らない。それが天災というものだろう。
最後の場面がいい。主人公の二人が食堂でオムライスをばくばく食べている。
これまでさんざん苦労してきた女が唇にケチャップをつけたまま言う。「幸せはいろいろや。うちは絶対、負けへんわ」。
この世は無常だ。良くも悪くも。でも、生きている限り、無常の世を前に進むしかない。
まさに、今読む感慨。文庫化を待つのではなく、今、読みたい。
本は、いつ読んだかにも意味がある。

 

MK新聞について

「MK新聞」は月1回発行で、京都をはじめMKタクシーが走る各地の情報を発信する情報紙です。
MK観光ドライバーによる京都の観光情報、旬の映画や隠れた名店のご紹介、 楽しい読み物から教養になる連載の数々、運輸行政に対するMKの主張などが凝縮されています。
40年以上も発行を続けるMK新聞を、皆さま、どうぞよろしくお願いします。

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MK新聞への大西信夫さんの連載記事

1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。

1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)

 

本だけ眺めて暮らしたい バックナンバー

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