エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【273】|MK新聞連載記事

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エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【273】|MK新聞連載記事

MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めてくらしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2011年1月1日号の掲載記事です。

本だけ眺めてくらしたい

慣れとは怖いもので、しばらくは自炊して蔵書を減らすことに新鮮な喜びを感じていたのに、最近、とうとうこんなことをやらかしてしまった。
というのは、ときどき読み返す愛読書で、私としては珍しく三色ボールペンやマーカーで本文に線を引いたり、余白にあれこれ書き込みをしている本があるのだが、それと同じ本をブックオフの百円均一コーナーで見つけ、「自炊用に」と買ってしまったのだ。
自炊とは、市販の電子書籍を買うのではなく、蔵書を自分で電子化すること。そうすれば、元本を処分してしまっても、コンピューターや携帯端末でいつでも読み返すことができる。つまり、部屋を占領している蔵書を減らせるからこそ、手間隙かけて自炊しているのだ。なのに、自炊するために同じ本をもう一冊買うとは、われながら本末転倒もいいところ。
もちろん、とっておきの愛読書だから、これは例外中の例外だと思っているが、じゃあ、絶対にこれ一冊きりかと問われれば、そうは言い切れないような予感も薄々ある。二冊目、三冊目の例外がそのうち……。
私にとっての自炊の最大の目的は蔵書を減らすことだが、作成した電子書籍そのものにも当然、メリットがある。携帯端末に好きなだけ何冊でも持ち歩くことができ、いつでもどこでも読める。特に、詩歌句集やアフォリズム集などは、このような読書法に向いているのではないか。
そして、愛着や思い入れのある本は、やはり現物を裁断(ドキュメントスキャナーで自炊する際に必要)したりせず本来の姿のままで手元に残しておきたい。時々手に取って、パラパラとページを繰りながら拾い読みしたい。
となると、保存用と自炊用の二冊の同じ本が必要なわけで……いや、ダメだダメだ。こんな例外が増えると、本も子もなくなってしまう(というより、「本も子もなくならない」と言うべきか)。
でも、そうあってはならないのは言うまでもないことだが、そうしたくなるような本に一冊でも多く出会うこと、自分にとってそんな本を一冊でも多く持つことが、望むべき読書生活であるというのもまた、言うまでもないことだろう。

 

MK新聞について

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MK観光ドライバーによる京都の観光情報、旬の映画や隠れた名店のご紹介、 楽しい読み物から教養になる連載の数々、運輸行政に対するMKの主張などが凝縮されています。
40年以上も発行を続けるMK新聞を、皆さま、どうぞよろしくお願いします。

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MK新聞への大西信夫さんの連載記事

1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。

1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)

 

本だけ眺めて暮らしたい バックナンバー

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