エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【272】|MK新聞連載記事
MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めてくらしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2010年12月1日号の掲載記事です。
本だけ眺めてくらしたい
蔵書をドキュメントスキャナで自らコンピュータに取り込み(俗に「自炊」と言う)、処分するようになって十五か月が過ぎた。
特にせっせとやったわけではなく、隙間時間にぽつりぽつりやっていただけなので、書類も含め五百冊分ぐらいは減っただろうか。
蔵書は分母が大きいので、それぐらいでは焼け石に水。というより、この間に新たに買った本の方が遥かに多いので、総量としては、実は減っていない。
だとしても、やってなかったとしたら、今よりさらに五百冊は余計に身の周りに本が増殖していたわけだから、大変な改善である。
それに、ちょうど一年が経つころから、自炊するペースがアップし、購入する本の数も意識して減らす(我慢はしているが、これがなかなか難しい)ようにしているので、このところの本の出入りはついに「奇跡」とも言えるマイナスに転じつつある。
体重のダイエットと同じで三日坊主、ということにならないようにしなければ。
どうしてその気になってきたかと言うと、部屋に慢性的に溢れているモノが減るのは、思っていた以上に気分がいいという実感があるからだ。
まるで、身体から贅肉が落ちるように。
少なくとも私にとって読書は単に情報の摂取ではなく、それ自体が楽しみであり、本はモノとして存在すること、手ざわりがあり、ふだんの暮らしの中で何気なく目に入るというところに大きな意味がある。
あるいは、自炊する時間があったら別の本を読みたいとも思う。
が、本を置く場所には限りがあり、また、所有しているモノが減るのは、そういった自炊への抵抗が失われていくほどの快感があるということなのだろう。
ところで、こういった恩恵が得られるのは本に限らない。
CDやDVDのジャケットやライナーノーツ(歌詞カード)を自炊すると、ディスク本体の何倍もの体積で無駄な空間を占有しているプラスチックのケースを処分できる。
自炊を積極的にやるようになると、本の装丁やCDのジャケットなどは、モノとして魅力のある素材やユニークで凝ったものより、バラして取り込みやすい簡易なもののほうが助かると考えるようになるのだから、人間というのは本当にいい加減なものだ。
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MK新聞への大西信夫さんの連載記事
1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。
1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)