エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【268】|MK新聞連載記事
MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めてくらしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2010年8月1日号の掲載記事です。
本だけ眺めてくらしたい
電子書籍にまつわる隠語に「自炊」がある。既製の電子書籍を購入するのではなく、所有している本を自分でPDFなどに電子化することをそう言う。
iPad(アイパッド)の登場で、日本でも電子書籍の本格的な普及が見込まれている。
ただし、iPadは電子書籍専用に開発された端末ではないので(だからこそ人気を得ているのだが)、電子インクや反射光ディスプレーなど、より電子書籍に適した設計技術が採用されたKindle(キンドル)と比較すると、文字主体の読書に向いていない。
iPadはスマートな道具として、また創造性あふれる玩具として魅力的だが、電子書籍端末とはやはりまったくの別物で、読書好きには目的に特化したKindle日本語版の早期の発売が待たれるところ。
電子書籍は場所を取らない、重さもない、検索やリンクといった付加機能、無線でどこでもその場ですぐに買えるなどその利点は計り知れない。
ただ、いずれにせよ肝腎のソフト、電子書籍がどれだけ豊富に流通するかが課題。
今後発売される紙の本はすべて電子版でも発行されるというのが(あり得ないだろうが)究極的な理想で、さらに電子書籍ならではのまったく新しい発想に基づくオリジナル電子書籍がどれだけ現われるか。
もっとも、オリジナル電子書籍は比較的簡単に誰でも制作、発行できるので、インターネットのサイトやブログのように玉石混交(というか、ほとんど石)になってしまうだろうが。
問題は過去の本。所蔵している本だ。
人気作家の作品やベストセラー、基本文献、名作文学などは別にして、膨大な量の出版物、古本のほとんどは電子化してもペイしないだろうから、発行される望みは薄い。
また、もし発行されるものがあったとしても、余程安価(自炊の手間隙と比較して)でなければ蔵書を買い換えることはできない。
新刊にしても、読みたい本の電子版が発行されないなら、結局私にとっての電子書籍とは、概ね自炊を意味する。極めて物理的で、肉体的な存在だ。
自炊する時間があれば本を読んだほうがいい。電子書籍の時代が到来しても、空間か、時間か、それらを得たり節約するためのお金か――そのいずれか、あるいはすべてが不足するという根源的な悩みに、何ら変わりはないだろう。
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MK新聞への大西信夫さんの連載記事
1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。
1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)