エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【266】|MK新聞連載記事
MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めてくらしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2010年6月1日号の掲載記事です。
本だけ眺めてくらしたい
読書会の取材をテレビで観た。主催者も含め二、三十歳台が中心。あらかじめ選定された課題の図書を読み、今どきのカフェに集まって紅茶やケーキでも食べながら、互いに感想を語り合おうというものだ。
読書離れが進んでいる、特に若者にその傾向が顕著という認識を背景に、その一方で、こんな本好きの若者もいるんですよ、実は今、こんなオシャレな読書会が人気なんですよと、その番組は対置してみせた。
もっとも、読書会は昔からあった。それに、いくら本を読まなくなったとは言え、いつの時代も本好きの若者はいる。
では、これまでと何が変わったのかといえば、インターネットの発達により、同好の見知らぬ人たちが集まりやすくなったということだろう。
それは読書会に限ったことではない。映画でもアニメでも、共通の話題で気軽に語り合える場があれば、参加してみたいと思う人が結構いるに違いない。
サイトやブログ、ツイッターなどのサービスが、多くの人に発言する機会を与えた。
が、底なし沼のようなインターネット空間にいくら「情報発信」しても、満足いく手応えを得られる人はごくわずか。
やはり人は、目の前のいる顔を持った誰かに、今の友人知人とは話す機会のない「自分の考え」を聞いてもらいたいのかもしれない。
ところで、初めて参加する人や、おとなしい人のために、会によっては最低限のルールを設けているところもあるようだ。
例えば「他人の意見は最後まで聞く」とか「皆が発言できるよう順番に意見を言う」とか。
主催者が明文化している場合もあるだろうし、その場の空気になっている場合もあるだろう。
ただ、それでは「カラオケ」になってしまう。自分が人前で歌いたいから、その代償として皆の歌を(楽しそうに)聞く。
自分の順番がまわってきて一曲歌う。次の順番まで、他人の歌をまた何曲か聞いて……。
カラオケならまだいい。誰がマイクを持っていようが皆でいっしょに歌って騒げばいいのだから。
が、意見は一方的に「発表」しても、せっかく他者と同席しているのに交わったことにはならないし、言うほうも聞くほうも物足りない。
個々の考えは尊重しながらも異論やツッコミを入れられたり入れたり、共感したりしながら互いに会話を楽しまなければ。
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MK新聞への大西信夫さんの連載記事
1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。
1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)