エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【246】|MK新聞連載記事
MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めてくらしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2009年4月16日号の掲載記事です。
本だけ眺めてくらしたい
近年になって、外国人がニッポンのマンガを「クール(いかす)!」と評していることを知った(マンガをあまり読まない)人たちが、「世界が認める日本を代表する文化」などと今さらのように口にするのを耳にすると、「だから?」と言いたくなる。
その人たちにとってマンガは、「有力な輸出コンテンツ産業」あるいは「グローバル時代に日本文化を広報するための強力なツール」に過ぎない。
また、「子どもだけでなく、大人の鑑賞にも十分耐えるマンガ」という報道や論説のセリフにしても、もう何十年、同じ事を言ってるんだよと思う。
ところで、「大学や資格試験の勉強もマンガでする時代」とばかりに、『マンガでわかるフーリエ解析』『マンガでわかるナースの統計学』など、マンガによる参考書が多数出版されている。
が、私には、出版社や読者が言うところの「マンガだから分かりやすい」の意味がわからない。
おそらく「難しそうで、とっつきにくい勉強も、マンガなら親しみやすい」ということなのだろうが、それと「分かりやすい」かどうかは、別の話だ。
マンガによる参考書の多くは、先生や学生など登場人物が、吹き出しで不自然に長く説明的な言葉をやりとりする。
そこに学習のポイントをまとめた箇条書きや、図表が配置されるというものでしかない。
つまりキャラクター設定や、あるかなしかのストーリー展開はともかく、肝腎のお勉強に関する解説は結局、登場人物やナレーターの言葉という文章によってなされる。
しかも「文字ばっかり」の参考書より情報量が圧倒的に少ない。
それでもし本当に「分かりやすい」マンガの参考書があるとすれば、その執筆者はもともと「文字ばっかり」でも「分かりやすい」参考書を執筆できる人たちだろう。
マンガによる参考書のほとんどは、マンガならではの分かりやすい参考書になっていると言えるようなレベルではない。
そして、そのようなしろものでも、「マンガだから分かりやすい」と感じる若者が少なからずいるということにこそ、いくつかの問題が潜んでいるのではないだろうか。
ニッポンの洗練されたマンガが世界で評価される一方で。
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MK新聞への大西信夫さんの連載記事
1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。
1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)