エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【240】|MK新聞連載記事
MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めてくらしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2009年1月16日号の掲載記事です。
本だけ眺めてくらしたい
テレビで「お笑い芸人」や「女芸人」といった言葉を最近よく耳にする。
で、こういうことを言う人がいる。「あんなものは芸やない」「芸もないのに何が芸人や」と。
確かに、そうだとも言える。しかし、バラエティ番組におけるスタジオの空気や出演者同士のトークの捌(さば)き方などは、あれはあれで一種の「芸」であり、寄席芸やタップダンスだけが芸じゃないとも言える。
それはともかく、ここで言いたいのは、人はそれぞれに特有の(本来の意味での)「こだわり」があるということだ。
同じような例は他にいくらでもあるのに、それ以外はまったく気にならない。しかし、それだけはどうしても気になるというような。
例えば「カリスマ店員」とか「セレブ妻」とか、今の世の中、誰も彼もカリスマやセレブだし、山口百恵や小泉今日子のような特別な偶像でなくても、水着の写真集さえ出せば猫も杓子(しやくし)も「アイドル」だ。
でもこんなボヤキ、今どき漫才のネタにもならない。
が、こと「芸人」に関しては「芸もないのに何が芸人や」と、ことさらに真顔で言いたくなるらしい。
ところで、恥ずかしながら私はアメリカのテレビドラマ「24 -TWENTY FOUR-」シリーズが好きで、今のところ全部観ている。
一話一時間で二十四話、それが六期だから、自らの限られた人生から既に百四十四時間をこのドラマに捧げているわけだ(苦笑)。
先日、ある雑誌を読んでいたら、最新の第六シーズンは失敗作で評判も悪かったという。
このドラマはひとことで言えば、テロリストなど悪者の陰謀を諜報部員である不死身の主人公が絶体絶命のピンチを何度も切り抜けながら阻止するというもので、毎シーズン基本的に同じパターン。
そのためかストーリー展開がだんだんエスカレートし、第六シーズンの荒唐無稽さには、ついにしらけてしまったというような意味のことが記されていた。
その記事を読んで、私は「えっ!それまでは荒唐無稽だと思っていなかったの?」と驚いてしまった。
主人公のバウアーが一瞬死んで(!?)生き返った時も?
エアフォース・ワンが撃墜されて大統領が生きていた時も?
その人にとって「荒唐無稽」とは、これら以外のどの場面だったのだろう。
MK新聞について
「MK新聞」は月1回発行で、京都をはじめMKタクシーが走る各地の情報を発信する情報紙です。
MK観光ドライバーによる京都の観光情報、旬の映画や隠れた名店のご紹介、 楽しい読み物から教養になる連載の数々、運輸行政に対するMKの主張などが凝縮されています。
40年以上も発行を続けるMK新聞を、皆さま、どうぞよろしくお願いします。
ホームページからも最新号、バックナンバーを閲覧可能です。
MK新聞への大西信夫さんの連載記事
1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。
1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)