エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【226】|MK新聞連載記事
MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めてくらしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2008年6月16日号の掲載記事です。
本だけ眺めてくらしたい
テレビを見ていたら、最近の出版販売の動向をレポートする番組をやっていた。
驚いたのは、店頭で商品を整理している書店員がコンピュータの端末を本のジャケットに印刷されたバーコードにあてると、その本をこれから平積みにするか、棚に並べるか、返品するかをデータから即座に判定し、書店員がそれにしたがって淡々と作業していた光景だ。
「ピピピ」という乾いた電子音が三回鳴るか、二回か一回か。
判定の基準は明解。売り行きの順位による。
ランキング上位の売れている本は目立つところに置かれてさらに売れ、下位の本は売れる機会も奪われて店頭から消えてなくなるというわけだ。
書店員の商品知識や経験、工夫、職業人としての思い入れは関係ない。
売れ行きトップテンの本を大量に積み上げ、派手にディスプレイし、大々的に売り出す。
多くの客がその十冊の中から買う本を選ぶ。それどころか、そういう風潮を嘆く全国の書店員が「自分たちが本当に薦めたい本を選ぶ」という「本屋大賞」なる賞を設けたのだが、大賞受賞作だけが売り上げを伸ばし、二位以下は売れ行きにあまり変化はないという。
単に別のランキングがひとつ増えただけというのが現実だ。
もっとも、何を読んだらいいか自分では分らないそういう人たちは、まだランキングあるからこそ、どうにかこうにか年に一冊~三冊、ベストセラーぐらいは読んでいるのであって、ランキングがなければまったく本を読まない人たちではないか。
ランキングは読書する人の数を底上げこそすれ、ランキングそのものが「読書離れ」を招いたわけではない。
番組は、出版・書店業界の現状を客観的にレポートしているように見せかけながら、単に出版文化の衰退を呑み屋でボヤいているような印象を受けた。
この番組の制作スタッフは、どれほど本が好きなのだろう、どれだけ本を読んでいるのだろうと、何故か、ふと思った。
これは本質的に本をめぐる問題なのだろうか。
「これで番組いっちょ上がり」的な手馴れた番組づくりと、教条的な落としどころを見ながら、そんなことを考えた。
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MK新聞への大西信夫さんの連載記事
1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。
1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)