エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【216】|MK新聞連載記事
MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めてくらしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2008年1月16日号の掲載記事です。
本だけ眺めてくらしたい
今、この文章を読んでおられる方のなかで、友人や知人が作家だという人がど
れほどいるだろうか。
自称や無名ではなく、大手出版社から小説が発行され、文庫本にもなっている
よぅな作家。
友人の友人とか、近所に住んでいて時々見かけるとか、過去にどこかで一度だけ会って挨拶をかわしたことがあるというのではなく、あるいは仕事がきっかけで付き合いができたといぅのでもない。
友人とまでは言えなくても、プライベートで互いに知り合いで互いに知り合いであると認識しているような関係として。
そのような作家の知人が書いたおもしろい「つくり話」を読むのは、どこか特
別な感慨がある。
作家という抽象的な存在による作品は、本という商品になり、流通ルートを経て本屋といぅ小売り店に並
ぶ。
しかし、知り合いである作家が書いた小説を読むというのは、数え切れないほど出版されている本の中から自分の好みで選んだものを読むという楽しみにはない。
実際に手で触れることのできる人が紡ぎ出した物語を聞かせてもらう素朴な喜びや、人間のあたまの中で虚構が創り出されるという不思議を肌で感じることができる。
ところで、この春公開予定のアメリカ映画『君のためなら千回でも』は、アフガ二スタンの二人の少年を描いたものだが、将来作家になる少年が書いた物語をもう一人の少年が「読んで聞かせて」とせがむ場面がある。、
この少年は文字の読み書きができないのだが、大好きで尊敬しでいる親友が創作した物語だからこそ、聞きたくて仕方がないのだ。
同じ話を何度も何度も聞かせてもらう時の、その表情の幸せそうなこと!
文学史上の名作といわれるものの中にも、作家が自分の子どもや、甥や姪のために書き、読んで聞かせたものがある。
夜、寝床で読み聞かせをしてもらうというのは、市販の本でも楽しいのに、有名な作家であるお母さんやおじさんの口から生み出される奇想天外な物語を質問などのやりとりをしながら聞くのは、なおのことだろう。
そんな特別な聞き手や読み手のいる物語を紡ぎ出すのは作家にとってもこの上ない喜びに違いない。
MK新聞について
「MK新聞」は月1回発行で、京都をはじめMKタクシーが走る各地の情報を発信する情報紙です。
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MK新聞への大西信夫さんの連載記事
1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。
1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)