エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【208】|MK新聞連載記事
MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めてくらしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2007年9月16日号の掲載記事です。
本だけ眺めてくらしたい
『シッコ』が話題になった。アメリカが抱える医療保険問題をユーモアたっぷりに批判した映画だ。
この監督は主張がはっきりしていて、ブッシュ大統領を批判するなど映画に政治的な色合いが強いため、政治的に反対の立場の人たちがこの映画を批判するのは当然だが、その主張や問題提起といった内容に大筋で「同感だ」という人も、表現方法を理由になぜか映画を評価することに留保をつけるのが興味深い。
曰く「ものの見方が恣意的」「誘導的な語り口」。つまり、「自らの主張へ導くために都合のいい素材だけを取捨選択している。偏っている」と。しかし、ならばその人はなぜ、この映画以外の映画やテレビのドキュメンタリーには同じ指摘をしないのだろうか。なぜ、ことさらにこの監督の作品に言うのだろうか。
ムーア監督は「見えない敵」と同じやり方をオーバーに戯画化しているに過ぎない。「わざとらしい」表現それ自体が、フェアを装ったメディアへのあてつけだと言える。日常のあらゆる手段を使って気づかれないよう人々を洗脳する「やつら」の手口の方が、単に巧妙なだけではないか。
「笑った。おもしろかった」、でも「これはドキュメンタリーではない」と、どうしても一言付け加えたいらしい。「自分はこの映画が作為的なのがわかるからいいが、わからずにこの映画が伝えることを単純に信じ込む人がいるから心配だ」と言わんばかり。
しかし、そもそもドキュメンタリーが思惑と関係なく存在する客観的事実を映し出すものであり、そんな偏りのない事実が存在するものとその人が思っているのだとしたら、プロパガンダよりドキュメンタリーの方が、ドキュメンタリーより事実の方がよっぽどタチが悪い。あなたこそ気をつけた方がいいと、その人に言ってあげたくなる。
これは映像メディアだけの話ではない。本や雑誌など印刷メディアについても同じことが言える。
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MK新聞への大西信夫さんの連載記事
1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。
1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)