エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【194】|MK新聞連載記事

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エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【194】|MK新聞連載記事

MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めてくらしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2007年2月16日号の掲載記事です。

本だけ眺めてくらしたい

古書店で、歌集『迢空自筆うみやまのあひだ』を手に入れた。原稿用紙に万年筆で書いた肉筆原本をすべて原色写真版で再現、複製したものだ。
釈迢空がまだ世に出る前、28歳ごろの筆だが、目にした最初の感想が「釈迢空ってこんな字を書いてたの? きたない字だなあ。イメージ違うなあ……」というものだった。
昭和39年の発行で、当時の定価が600円。現在の古書価は3~5,000円だが、それを700円で売っていたので、安いから買ったというのもあるが、欲しくなった一番の理由は、その読みにくい字にあった。私は作家の声を聴くのが好きだと、この欄に書いたことがあるが、手書きの文章を読むのもまた好きなのだ。

コンピューター(ワープロ)が普及し、手書きの文章を見る機会がずいぶんと減った。たまに原理主義的な手書き論者の主張を見聞きするが、それはあまりに硬直的ではないかと思うことがある。私も今は、ほとんどコンピューターのエディターを使っていて、手書きはメモを取る時か、アイデアを練る時ぐらいだ。
「手書きかワープロか」で思い出すことがある。ワープロが出始めたころ、これは文章を書くのに便利そうだと、誰よりも早く飛びついた。しかし、16や24ドットといった印字の不細工なガタガタ文字が嫌いで、私はワープロで綴った文章を最後に手書きで清書していた。しかし当時、世間はまったく逆で、手書きで文章を仕上げた後、それをワープロにせっせと打ち込んでいた(ワープロの何たるかがまったくわかっていない!)。今はプリンターの印字もきれいになり、さすがに私も「逆清書」はしなくなったが(笑)。

それはともかく、一般的に、手書きは「あたたかみがある」とか「人柄が表われている」とよく言われる。そう言いたい気持ちはわからないでもないが、それは単なる幻想、こじつけではないか。そこには、ただ純粋に「見た目」、形象の個性があるだけ。そして、それがいいのだ。
最近、『“手”をめぐる四百字』(文化出版局、1,600円税別)という本が出版された。原稿用紙一枚の手に関するエッセイを、五十人の書き手による直筆でそのまま紹介している。肉筆原稿を複製した本は豪華なものが多いが、この本はいろんな著名人の筆跡を手軽に楽しめる。

 

MK新聞について

「MK新聞」は月1回発行で、京都をはじめMKタクシーが走る各地の情報を発信する情報紙です。
MK観光ドライバーによる京都の観光情報、旬の映画や隠れた名店のご紹介、 楽しい読み物から教養になる連載の数々、運輸行政に対するMKの主張などが凝縮されています。
40年以上も発行を続けるMK新聞を、皆さま、どうぞよろしくお願いします。

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MK新聞への大西信夫さんの連載記事

1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。

1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)

 

本だけ眺めて暮らしたい バックナンバー

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