関西随一!「淀の河津桜」は超早咲きで2月から3月に見頃を迎える
目次
近年関西でもあちこちで見られるようになってきた超早咲きの河津桜。
2月から見頃を迎える桜として、河津桜の人気はどんどん高まっています。
関西でも随一の河津桜の名所といえば、京都市伏見区の「淀水路」です。
2月から美しい河津桜の並木を楽しむことができるスポットとして、2月から3月の淀水路には関西一円から河津桜目当ての観光客が集まります。
関西でもいち早く桜シーズンを迎える京都の淀水路の河津桜を紹介します。
3月3日時点で、まもなく見頃を迎えそうです。楽しみですね!
淀水路の河津桜
京都どころか西日本随一の河津桜スポットである、淀水路の河津桜を紹介します。
関西随一!300本の河津桜並木
京都で最初に見頃を迎える桜並木
静岡県の伊豆半島生まれの河津桜は、近年関西でもあちこちで見られるようになってきました。
しかし、大規模な桜並木が見られるのは、関西でもまだ京都市伏見区の淀水路だけです。
淀水路では、300本の河津桜が並ぶ美しい桜並木を楽しむことができます。
まだ歴史の浅い淀水路の河津桜ですが、例年は2月下旬から3月下旬にかけて、長期間見頃が続きます。
関西や京都には、秋や冬から開花する桜を含めて早咲きの桜は多数あります。
しかし、桜がずらりと並ぶ「桜並木」として最初に見ごろを迎えるのは、伏見区淀にある淀水路の河津桜です。
住民の力で有名桜スポットに仲間入り
淀水路に初めて河津桜が植えられたのは比較的最近のことです。
今まさに有名になりつつある桜スポットで、年々河津桜を目当てに淀水路を訪れる人の数も増えています。
淀水路の両側の遊歩道がある1.5kmに及ぶ緑地帯は淀緑地公園と言います。
淀水路ではなく「淀緑地の河津桜」と呼ばれることもあります。
「淀地域を桜の名勝にする」という目標のもと、河津桜を中心とした様々な取り組みが行われています。
まだ植えられてそれほどたっていない河津桜たちもぐんぐん成長中です。淀水路では、今後数十年にわたってさらに見事な河津桜を楽しませてくれることでしょう。
2月初めに見頃を迎える「正月桜」
2本だけ超早咲きの正月桜
早咲きの河津桜ですが、淀水路では中でも2002年に最初に植えられたという河津桜が「超早咲き」です。
淀水路の他の河津桜はまだちらほら咲き程度のときに、2本だけ満開になります。
通称「正月桜」ともいわれるくらいの早咲きの河津桜です。
例年はさすがにお正月には咲いていませんが、淀水路の正月桜は梅よりもさらに見頃が早いくらいの早咲きぶりです。
しかし、例えば2021年には11月8日に開花という驚くべき記録もあります。
接ぎ木で増やす河津桜は全ての個体が同じ遺伝子を持っており、開花期がそろいます。
正月桜と言われている2本だけ河津桜と比べて顕著に開花が早いのは、環境などの要因だけでは説明がつきません。
正月桜は他の河津桜とは遺伝子レベルで異なるということを示しています。
正月桜の正体は「河津正月」か
河津桜の実生から生まれた品種に、「河津正月」という桜があります。
桜は自家不和合性を持つので、全く同じ遺伝子を持つ河津桜同士では種はできません。
河津桜と寒緋桜の血を濃く引く別の桜との間に誕生した河津正月は、河津桜とは異なる遺伝子を持った桜です。
農林水産省の登録品種データベースによると、河津正月は「カワヅザクラと比較して、花の開き方が半開形であること、花の色が鮮紫ピンクであること、通常開花期が早いこと等で区別性が認められる」と記載されています。
河津正月という名称からもわかる通り、河津正月は発見された河津町では12月下旬から開花する、非常に早咲きという特徴があります。
加えて、淀水路の正月桜をよくよく観察すると、「花の開き方が半開形」「花の色が鮮紫ピンク」という河津桜と異なる特徴も一致することがわかります。
淀水路の正月桜の正体は、この河津正月である可能性が非常に高いのではないでしょうか。
河津正月と全く同一品種ではなかったとしても、淀水路の正月桜は河津桜の実生の桜であるという点はまず間違いないでしょう。
「正月桜」という名称が河津正月にならったものなのか、偶然の一致かは不明です。
案内板では「兄弟桜」と記載されていますが、正月桜が河津正月なのであれば、遺伝的には「親子桜」が正しいということになります。
河津正月桜が農林水産省に正式に品種登録出願されたのは2001年と最近のことです。
しかし、もとは1965年に河津町田中の飯田利一氏が近所で早く葉が出ている桜の苗を見つけて自宅に植えたのが、河津正月のはじまりです。
1955年に同じ河津町田中の飯田勝美氏が近所で苗を見つけたのが始まりの河津桜とほとんど同じ経緯をたどっています。
なお、飯田利一氏と飯田勝美氏の親族関係は不明ですが、数軒隣レベルのごくご近所さんです。
正月桜が咲くのは淀水路から脇に入った新町緑道
2本の正月桜もわずかに開花のタイミングは異なり、正月桜1号がやや早く開花することもあります。。
正月桜1号も2号もほとんど開花に差がない年もあります。
2023年も2月上旬から既に正月桜は見頃を迎えています。
2022年も概ね同時期に見頃でしたが、かなり早咲きだった2021年は1月中から見頃を迎えていました。
開花が確認されたのは、2022年は12月25日でした。12月12日に1、2輪の開花があったもののそこからしばらく止まり、25日に7輪の開花が確認されました。
近くの緑地には、菜の花も植えられています。
正月桜と同時に見頃を迎えるので、鮮やかな黄色とピンクの共演を楽しむことができます。
正月桜が咲くのは、河津桜並木の淀水路から少し淀駅方面への脇に入った遊歩道の新町緑道にあります。
かつては水路で、今も遊歩道に地下には排水路があります。
かつては薄暗い道でしたが、今は朝夕には多くの人が行きかう遊歩道の新町緑道へと生まれ変わりました。
新町緑道と正月桜のすぐ脇にあるマンションのヴィスタチリエージョの間には水色の鉄柵があります。
普段は閉じられていますが、正月桜の開花シーズンには一部が開放されています。
写真の左側に2名のカメラマンが敷地内に入っていますが、ここは入ってOKの部分です。住民らの好意によって開放されている部分です。
ただし、水色の鉄柵内以外の部分の周囲への立入に関しては常識で判断してください。
立入禁止と明記されている部分はもちろん、明記されていなくても民家の敷地内や、草花を踏みにじるような場所は入らないようにしましょう。
淀の河津桜から生まれた「淀桜」
河津桜も河津正月も生まれは静岡県ですが、淀水路には淀の河津桜の実生から生まれた「淀桜」という桜もあります。
新町緑道と淀水路の交点付近です。孫橋からだと「願い叶え坂」というスロープをくだったところです。
2010年に河津桜の実が自然発芽した木が成長し、2020年に淀桜と命名されました。
現地の案内板によると、河津桜と他の桜の実生は、97%が河津桜の片親であるオオシマザクラの隔世遺伝(?)が強く出て白い花になってしまうそうです。
河津桜と同じく赤みを帯びた桜となる確率は3%しかなく、珍しいことであると記載されています。
河津桜の実生から生まれた品種もあるので、ほとんどが白い花となるという点が事実かどうかは不明です。
花色はピンクから白で、開花期もソメイヨシノよりも遅いです。
河津桜がほぼ散ってしまったころにようやく淀桜が開花します。
開花したころは河津桜よりは淡いとはいえ、ピンク色をしています。
開花が進むにつれて、花の色が純白に変化することも大きな特徴です。
正式に淀桜として品種登録されたわけではありませんが。他のどこにもない淀生まれの桜として、今後人気が出てくるかもしれません。
思えば、河津桜ももとは河津町という地名に由来した桜です。
今や、「河津」といえば河津町よりも河津桜の方が有名でしょう。
河津桜+京阪電車の撮り鉄スポット
頻繁に電車が行きかう京阪本線
淀水路の河津桜並木の北端は、京阪本線と交差しています。
本線だけあって頻繁に電車が行き交い、淀水路ではかなりの確率で桜+電車の景色を撮影できます。
日中は平日・土休日ともに1時間に特急が4本、快速急行が2本、準急が4本通過します。
往復あわせるとその倍なので、特急だけでも15分に2本通過します。
加えて、淀車庫からの回送車両も走行します。
京阪本線と淀車庫が交差する地点では、複線の京阪本線と、複線の淀車庫回送線、単線の留置線の5線もの線路が平行しています。
淀水路は河津桜+鉄道の景色を目当てに撮り鉄にも人気のスポットです。
淀水路にかかる天神橋からは、河津桜と京阪電車がよく見えます。
目玉はダブルデッカーの京阪8000系
京阪電車といえば、何といってもダブルデッカー車の8000系でしょう。
関西だけでなく全国的に有名な車両です。
追加料金が不要な車両としては、関西一どころか日本一といっても良いでしょう。見た目だけでなく、独特の深めの座り心地は最高です。
2017年に、座席指定の有料特別車両「プレミアムカー」が導入されました。
京都大阪間をプラス500円で乗車することができます。
淀水路から柵越しには、8000系の上半分だけが見えます。
上品な赤色は「エレガント・レッド」と言います。紅葉などを想起させるカラーデザインです。
ピンクの河津桜とエレガントレッドの組み合わせが美しいですね。
紺色の京阪3000系も人気
8000系と並んで京阪特急に使用されるのは、紺色の3000系です。
2021年には3000系にもプレミアムカーが導入されました。
京阪3000系は、2009年に鉄道友の会から「ローレル賞」を受賞しました。
2022年には3000系のプレミアムカーである3850形もローレル賞を受賞しました。
同系列の車両がローレル賞を2度受賞するのは、史上初のことです。
3000系の紺色「エレガント・ブルー」と言います。淀川水系の流れをイメージしたカラーデザインです。
ピンクの河津桜とのコントラストが見事です。
そして、準急などのロングシート車両は京阪伝統の濃緑色です。
濃緑色は「レスト・グリーン」と言います。主に淀~樟葉間を中心とした緑あふれる景色をイメージしたカラーデザインです。
京阪淀駅の西側(大阪側)には、京阪電車の淀車庫があります。
淀車庫と淀駅の間にある淀水路では、回送車両も行きかいます。
淀駅に入線時には、ちょうど淀水路のあたりでいったん停車することもあります。
鉄道写真といえば、一瞬が命ですが淀水路ではとまっている電車をゆっくり撮ることもできます。
淀水路から鉄道写真を撮る場合は、当然のことながら撮影マナーには細心の注意を払うようにしてください。
普段はともかく、込み合う河津桜の開花シーズンはなおさらです。
京阪の車窓から見る淀水路の河津桜
車窓からもちらっと見える河津桜
河津桜と鉄道の景色が見られるということは、逆に京阪電車の車窓からも淀水路の河津桜並木を眺めることができるということです。
住宅街の中ということもあって淀水路の河津桜並木との間には防音板が設置されています。
綺麗に見えるわけではありませんが、車窓からも淀水路の河津桜を見られます。
淀水路の河津桜並木は京阪電車の南側にあるため、より近い下り列車(大阪行き)内から見た方が淀水路の河津桜はよく見えます。
なお、京阪本線は京都行きが上りで大阪行きが下りです。もともとは新京阪電車だった阪急京都線も同様です。
2階からならさらによく見える河津桜
京阪特急のダブルデッカー車の2階からなら、防音板を越えて淀水路の河津桜の全体が見えます。
2階席からの車窓は素晴らしいです。淀水路の河津桜並木も見どころのひとつです。
京阪が淀水路を横切るのは一瞬のことです。車窓を見ていると、淀水路の河津桜は突然現れてあっという間に通過します。
車中から河津桜の写真を撮るのであれば、事前にカメラやスマホを構えてスタンバイしていないと間に合いません。
京阪本線は、淀駅から大阪方面の淀車庫にかけて高架化されていますが、唯一淀水路の部分のみ一瞬地上を走ります。
府道15号線の跨線橋をくぐりぬけるためです。
京阪本線が淀水路を横切るのは、地上に降りた一瞬です。
上り列車でも、下り列車でも、高架から地上に降りて行き、最も低くなった瞬間に淀水路が見えます。
わずかな時間なので、車窓を楽しむというほどではありませんが、開花状況は車窓からでもじゅうぶんに判断できます。
たまたま車窓から満開の淀水路の河津桜を見かけて途中下車したという人もいるのではないでしょうか。
上り列車の場合、対向車両が通りかかって淀水路側が見えないというオチの可能性もあります。
1ヶ月にわたって開花し続ける河津桜並木
10月に狂い咲きすることも
河津桜の開花は2月ですが、10月に開花が観測されたこともありいます。
2022年10月に淀水路の河津桜の一本が開花し、10月10日には100輪以上もの花を咲かせました。
これは通常の開花とは異なるメカニズムによる、いわゆる「狂い咲き」です。
この河津桜の一本は毛虫にほとんどの葉を食べられていました。
葉がなくなったことで冬が来たと勘違いした桜が、温かい日が続いた秋に春が来たと思って開花したのです。
河津桜に限らず、食害や台風被害などが原因で、いろいろな桜で狂い咲きが観測されます。
微妙に時期がずれる河津桜の開花
約200本の河津桜が並ぶ淀水路ですが、開花は時期はややずれます。
北側(京阪側)の河津桜の方がやや早めです。南側(京都競馬場側)の河津桜はやや遅れて見頃を迎えます。
淀水路の中央にかかる孫橋は、微高地を通る京街道を通っているため、淀水路よりもかなり高い位置にあります。
河津桜並木を横から眺めることができます。
河津桜の樹形は、上よりは横に広がるので上から見るのも美しいです。
開花期間が長いのが河津桜の特徴であり、人気を集める理由のひとです。
淀水路では、場所によって河津桜の開花時期が異なるため、実質1ヶ月程度にわたって見頃が続きます。
淀水路の河津桜は、3月下旬でもまだ見頃の木が残っています。
北部(京阪側)の河津桜は早く散りますが、南側(競馬場側)の河津桜は比較的遅くまで残っています。
ソメイヨシノが見頃を迎えはじめるころに、淀水路の河津桜は終わりを迎えます。
河津桜シーズン終了後も続く淀水路の桜
河津桜が終わってからも、本数はそれほど多くはないものの、枝垂桜やソメイヨシノも咲きます。
淀水路には、2023年現在で210本の河津桜に加えて、52本の枝垂桜、ソメイヨシノ、オオシマザクラ、ヤマザクラなど計24本の桜があります。
意外にも、淀水路の桜の4分の1は河津桜以外の桜です。
枝垂桜やソメイヨシノなどが見頃を迎える時期には、河津桜はすっかり葉桜になっています。
河津桜シーズンにあれだけいた観光客の姿もまれです。
しかし、淀水路の桜シーズンはまだ終わっていません。
ソメイヨシノなどを見るのであれば、隣駅の背割提(石清水八幡宮駅)や宇治川派流(中書島駅)の桜には見ごたえは及びません。
しかし、ゆっくりと桜を味わうには淀水路でもじゅうぶんに楽しめます。
淀水路でソメイヨシノや枝垂桜が集まっているのは、東側(京都競馬場側)の桜橋付近です。
ソメイヨシノと枝垂桜の並木となっています。
他にも、孫橋の中央には大きなオオシマザクラが咲きます。
純白の大きな花と青々とした若葉が目印です。
河津桜の大きな花は、片親であるオオシマザクラに由来します。
そして、最後に見頃を迎えるのが淀の河津桜の子桜である「淀桜」です。
淀水路は桜を長期間にわたって楽しめるスポットなのです。
河津桜シーズンの地元イベント
2019年に淀河津さくらまつりが初開催
2019年には、淀さくらを育てる会が主体となって、「淀河津さくらまつり」が開催されました。
河津桜が見頃を迎える2019年の3月9日(土)・10日(日)には、淀水路沿いの淀緑地公園では、無料で酒粕汁の提供が行われました。
淀連合自治会、淀観光協会、地域女性会や淀老人会の協力により、2日間で500食の粕汁が提供されました。
その他、地元の和菓子店などの出店もあり、淀河津さくらまつりは大いににぎわいました。
露店などの利益は河津桜の世話をしている淀さくらを育てる会の活動資金として活用されました。
2020年、2021年と3月初旬に「淀河津さくらまつり」の開催が予定されていましたが、新型コロナウイルスの影響により、2年連続で中止となりました。
今のところ、まだ2019年に1回開催されたのみです。2023年も淀河津さくらまつりの開催予定はありません。
ところで、「淀河津ざくらまつり」ではなく「淀河津さくらまつり」が正式名称です。
2022年も河津桜が見頃を迎える時期の週末には孫橋西詰に焼鯖寿司や巻き寿司を売る淀観光協会による露店が出ていました。
古地図では、かつて鯖寿司の露店が出ている孫橋西詰あたりには、淀姫明神(與杼神社)の御旅所が記載されていますが、今は跡形もありません。
戦前の地図でも見当たらないので、早い段階で廃絶してしまったようです。
今の與杼神社は淀城址にあり、明治までの旧地には別の御旅所があります。
淀の桜まつり
2023年は、3月11日(土)、12日(日)に「淀の桜まつり」が開催されました。
主催は淀緑地の清掃活動などを行うボランティア団体の「緑水の径」で、協力が淀下津連合自治会です。
2019年の淀河津桜とは主催者も場所も内容も異なりますが、いずれも地元の地域住民によるものです。
淀の桜まつり会場は、下津町公会堂です。
淀水路からはやや離れており、しかも入り組んだ道にあるため、淀水路の各所に淀の桜まつり会場を示す矢印が掲示されています。
誘導どおりに進むと下津町公会堂へとたどり着きます。
淀の桜まつりでは、昔懐かしい竹遊びコーナーがあり、竹とんぼや竹製けん玉などで遊ぶことができます。
近所の子供たちが集まり、竹とんぼを飛ばしています。とても楽しそうです。
淀の桜まつりの開催は11時から16時までですが、15時ごろに訪れると全て売り切れてしまっていました。
焼き芋やおもち、おはぎ、桜パフェ、桜アイスなどが販売されていました。
想定を上回る販売があったのは良かったですが、ちょっと残念です。
来年はぜひ購入できる時間帯に行きたいと思います。
下津町公会堂内は休憩所として公開されており、中では無料のお茶などをいただけます。
壁には大きく河津桜にまつわるいろんな活動記録の掲示があります。ぜひ見てください。
2024年の淀の桜まつりは、3月9日(土)、10日(日)に開催されます。場所や時間等は2023年と同じです。
河津桜の開花が早い2024年は見頃のピークは越えている見込みですが、まだまだ河津桜を楽しめる時期でしょう。
「淀さくらを育てる会」が大臣表彰
かつてはドブ川だった淀水路
淀水路とその水辺は今は美しい河津桜の並木が整備されていますが、河津桜を中心とした整備が始まる前まではかなりひどかったそうです。
淀城の外堀としての役割も、淀港の運河としての機能も失った淀水路は、単なる排水路になっていました。
流れる水もドブ川といわれるくらい汚れており、ゴミが散乱する状況でした。
河津桜並木が続く今とはまったく違った荒れた景色が広がっていました。
以前は淀水路は「旧巨椋池悪水路」というのが正式名称でした。
ここでの悪水とは、排水すべき不要な水という意味ではあって、汚ない水という意味ではありませんが、悪水路という名称からもどういう扱いを受けていたかは想像に難くはないでしょう。
もとは今の川幅部分だけでなく、両側の遊歩道までまたがり、川幅は20メートルほどありました。
しかし、京阪淀駅の移設・高架化工事に伴い、地元住民が整備活動に尽力し、淀水路はここまで美しく生まれ変わりました。
河津桜並木の植樹も淀水路の整備活動の一環です。
近年は、関西に限らず全国的にドブ川と化したかつての運河・水路を親水空間としてよみがえらせる取り組みが行われています。
淀水路はその先駆けのひとつであり、河津桜を中心とした街づくりの成功例のひとつです。
地域住民の活動が国土交通大臣表彰に
地元住民が主体となった取り組みによって、淀水路は今のような人気スポットになりました。
おかげで淀水路ではこのような美しい河津桜の並木を楽しむことができるのです。ありがたいことです。
淀水路などで河津桜の整備活動を行っている市民団体が、2020年度の「みどりの愛護」功労者国土交通大臣表彰に選ばれました1。
偶然の出会いから始まった河津桜の植栽
淀水路近隣に住んでおり、のちに淀さくらを育てる会の事務局代表を務めることになる川崎莞爾さんが、たまたま2002年に河津桜発祥の地である河津町を旅行したときに桜並木に感銘を受けたのが始まりです。
地元の淀にも河津桜を植えたいと願い、宿泊した宿に河津桜の苗木を2本送ってもらいました。1本3,500円だったとのことです。
2002年に京都市の許可を受けて手に入れた2本の河津桜を植樹しました。今も超早咲きの「正月桜」として知られる桜が最初の2本です。
手入れしやすい場所として、新町緑道が選ばれました。今も正月桜のあたりでは清掃を行う川崎さんの姿をよく見かけます。
この偶然の河津桜との出会いが、今の関西随一といわれる淀水路の河津桜並木の始まりとなりました。
なお、初めて河津桜を植えたのは、出典によって2002年と2003年という表記が混在しています。
桜を定植するのは12月から3月くらいが適しているので、2002年~2003年の冬のどこかで植えたのでしょう。
今となっては、河津桜を植えたのが何月だったか定かではないといったところなのでしょう。
本記事では、淀さくらを育てる会の2002年に統一します。
2006年には、愛護会の新町会、下津会、水垂会から約80人が集まり、今の「淀さくらを育てる会」に衣替えしました。
2006年度には約100本の河津桜を植樹しました。その後も京都市の緑地管理課からアドバイスを受けつつ、自治会や老人会とも連携して伊豆の河津町から取り寄せた河津桜の苗木を毎年10~20本植樹する活動を続けてきました。
最初の2本を購入した植木屋さんと懇意になり、河津桜の苗木を通常よりも安価で手に入れることができました。
淀エリア全体で318本の河津桜
「淀さくらを育てる会」の向島まつりでの展示資料によると、2023年3月時点で、淀エリア全体では328本もの河津桜が植えられるまでになりました。2022年より10本増えています。
淀水路の淀緑地だけでも205本もの河津桜が植えられています。
地域ごとにまとめると、以下のとおりです。
スポット | 2023年の本数 | 2018年の本数 | |
淀緑地(淀水路) | 210本 | 178本 | |
淀駅付近 | 淀駅ロータリー | 15本 | 15本 |
淀城跡公園 | 18本 | 16本 | |
與杼神社 | 1本 | 0本 | |
プレジデントマンション | 1本 | 1本 | |
淀の旧市街地 | 大淀中学校 | 11本 | 5本 |
明親小学校 | 4本 | 1本 | |
淀新町三角公園 | 1本 | 1本 | |
淀川顔町 | 1本 | 0本 | |
淀美豆町 | 美豆小学校 | 6本 | 6本 |
淀の里 | 7本 | 7本 | |
納所 | 妙教寺 | 1本 | 1本 |
桂川西岸 | 淀水垂町 | 41本 | 44本 |
淀大下津町 | 8本 | 6本 | |
宇治川南岸 | 淀際目町第2公園 | 3本 | 3本 |
桂川西岸や宇治川南岸などを除いても、268本もの河津桜が淀水路付近に集まっています。
いずれも徒歩圏内なので、全ての河津桜を回ってみるのも楽しいでしょう。
淀緑地には、河津桜以外にも枝垂桜52本、ソメイヨシノ・オオシマザクラ・ヤマザクラが計24本あるとも記載されています。
河津桜が散る3月下旬以降も、4月上旬までその他の桜を楽しむことができます。
今では淀水路以外の淀城跡や桂川左岸なども含めて307本の河津桜が早春の淀を彩っています。
今や淀の春といえば、河津桜と京都競馬場での春の天皇賞です。
淀各所の河津桜
淀水垂町(41本)
淀水垂町には、41本の河津桜が咲きます。
淀水垂町は桂川の西岸にある淀水垂町は、治水工事のために過去2回の集団移転を経験しています。
明治時代の桂川拡幅工事に伴い、西側に移転したのが一度目です。二度目は2007年で、やはり大規模な治水工事に伴う移転です。
移転に伴い、淀水垂町は整然とした盛り土の高台に位置することになり、長らく続いた水との戦いから解き放たれました。
集落内にも数本の河津桜がありますが、メインは水垂埋立処分地跡です。
水垂埋立処分地は、焼却残灰などの処分場として使われてきましたが、2021年に廃止されました。
河津桜が咲くのは、1998年に廃止された旧処分地です。水垂公園付近の西側フェンス内に河津桜が植えられています。
フェンス越しにしか見ることができないのは残念ですが、満開の河津桜が並んでいます。
41本という本数は、淀エリアでも淀水路に次ぐ規模です。
ただし、間近で見ることはできないため、わざわざ見に訪れる人はほとんどいません。
淀大下津町(8本)
淀水垂町の南側にある淀大下津町も、淀水垂町と同じく2度の集団移転を経験しています。
淀大下津町の河津桜は、道路の植栽として植えられているので、間近で見ることができます。
しっかり「淀の河津桜」というのぼりもたっています。
植栽内なので、お花見をできるようなスペースはなく、規模も小さいため、やはり淀大下津町の河津桜を見に訪れる人はまれです。
妙教寺(1本)
納所の妙教寺には、河津桜が1本だけあります。
妙教寺は、淀城が現在地に移転する前の淀古城の所在地でした。
天正19年(1589年)に淀城を改修した豊臣秀吉は、側室の茶々に淀城を与えました。このため、茶々は淀殿と呼ばれるようになったのです。
戊辰戦争時は戦場となり、今も本道の河辺には砲弾が貫通した跡が残ります。
2023年時点では妙教寺は、コロナ感染防止のために境内は公開されていません。
河津桜は山門のすぐ脇にあるので、山門から見ることができます。
早く全面公開されるようになって欲しいものです。
大淀中学校(11本)
京都市立大淀中学校内には、11本の河津桜が咲きます。
もともとは久世郡の淀町・御牧村・佐山村で設立した事務組合立淀中学校が前身です。
1975年に久御山中学校が分離するまでは、京都市久御山町事務組合立淀中学校でした。
フェンス越しに河津桜の若木が咲く姿を見ることができます。2020年に植えられた河津桜です。
校門からは、「淀川渡船場道」の石碑付近に咲く河津桜が見えます。
いずれも校内にあるので、近くで見ることはできません。
全部で11本あるので、外から見えないところでも河津桜が咲いているはずです。
明親小学校(3本)
明親(めいしん)小学校では、3本の河津桜の若木が咲きます。
名称からも想像がつくとおり、淀藩の藩校である「明親館」が前身という歴史ある小学校です。
学制発布によって1872年に明親小学校となり、創立150年を超えます。
明親小学校の河津桜はまだまだ若木です。
花付きも控えめで、これからの成長に期待です。
淀新町三角公園(1本)
淀新町三角公園は、正式には淀新町児童公園という小さな公園です。
文字通りかなり細長い直角三角形をしています。
いずれも児童用の小さな鉄棒、砂場、すべり台、ブランコがあるだけです。
淀新町三角公園の河津桜は一本あるだけですが、とても花付きがよく見事です。
背丈も低く、横に枝が張り出す樹形となっています。
児童公園だけに、小さな子どもでも花を楽しめるようにこのように剪定しているのでしょうか。
淀川顔町(1本)
淀川顔町の川顔は「かわづら」と読む有名な難読地名です。
地名の由来は、川に面した町という意味です。
今は宇治川沿いですが、かつては木津川に面していました。
河津桜が咲くのは、京都府道15号宇治淀線と、京都府道126号新町淀停車場線の合流点です。淀大橋を北に渡った正面に咲くので、よく目立ちます。
他の河津桜とは異なり、浅野工務店さんの私有地内に植えられています。
美豆小学校(6本)
京都市立美豆(みず)小学校では6本の河津桜が咲きますが、外から確認できるのは2本だけです。
正門右の塀越しに2本の河津桜が咲く姿が見えます。
美豆小学校は、1985年に明親小学校から分かれて創立しました。
淀の里(7本)
淀の里は、社会福祉法人伏見にちりん福祉会が運営している2000年開設の特別老人ホームです。
涼森神社、美豆小学校の北隣に位置します。
7本の河津桜があるはずですが、外から見えるのは駐車場の1本だけです。
淀際目町第2公園(3本)
唯一宇治川の南岸に位置するのが、際目第2公園の河津桜です。
ライオンズマンション京都淀と京滋バイパスの間にある公園です。
京滋バイパス沿いに3本の桜が植えられています。
際目には第1公園と第3公園もありますが、かなり小さな公園です。
その他の河津桜
淀駅ロータリー(15本)、淀城跡公園(16本)、與杼神社(1本)については別項で取り上げているので省略します。
プレジデントマンション(1本)は、外から見える場所に河津桜はありませんでした。
年間を通じて行われる「淀さくらを育てる会」らの活動
河津桜が華やかなのは2月から3月だけですが、毎年美しく花を咲かせるには、一年を通しての世話が欠かせません。
比較的育てやすい河津桜ではありますが、自生種ではないので人が手入れをしないと維持できません。
夏には毛虫などの害虫駆除を農薬を使わず手作業で行い、秋には落ち葉の清掃は欠かせません。
年間を通して毎月2回河津桜の手入れが行われています。
このような地元・淀の方々による、目立たないが粘り強い活動により、毎年2月・3月には淀水路で美しい河津桜が見られるのです。感謝です。
淀水路の整備事業が国土交通大臣表彰を受けるほどの活動ができたのは、植樹する木として河津桜を選択したことも大きいでしょう。
関西随一とも言われる美しい河津桜並木を生み出し、維持していこうとする思いは、活動を続けるために大きな推進力となったことでしょう。
河津桜を植えたことは偶然だったかもしれませんが、地元・淀の方々の強い地元愛に加えて河津桜の魅力が、今の美しい淀水路を作り上げたのです。
淀水路の河津桜を早い時間に訪れると、地元のボランティアの方々が清掃活動などをしているところをよく見かけます。
2022年も河津桜シーズン本番を前に、淀水路の中に入ってまでの清掃活動をしていました。
とても寒い中、水に浸かっての作業はとても大変でしょう。いつもありがとうございます。
2023年は、南の藤棚付近でアンケートと募金活動も行っていました。
こんな素晴らしい河津桜をだたで見せていただいているのです。
募金活動を行っているところを見かけたら、ぜひ協力しましょう。
まだまだ整備が続く淀水路の河津桜
河津桜が並ぶ部分の水路は、コンクリートで覆われています。
淀水路は河津桜は美しいが、水路のコンクリートが台無しにしているという感想は良く聞きます。
かつての堀川がそうだったように、淀水路自体の景観は美しいとは言い難いものです。
しかし、それは言い換えれば大いに伸びしろがあるということです。
京都市内の堀川が再整備によって美しく生まれ変わったように、淀水路も再整備されれば景観が一変するはずです。
川のすぐ横の遊歩道を歩きながら河津桜を楽しめたらどんなに幸せなことでしょう。
具体的な淀水路再整備計画があるわけではありませんし、いろいろハードルもあることでしょう。
今の淀水路も、ほんの十数年前からは想像もできないくらい美しくなっています。
すでに河津桜というキラーコンテンツもあるだけに、うまく組み合わせたらどれだけの空間が生まれるか。
これからの十数年後の淀水路は、いったいどうなっていることでしょう。
伸びしろ豊かな淀水路には、これからも要注目です。
2022年には、正月桜付近に新たに公衆トイレが設置されました。
京都淀ライオンズクラブのCN45周年記念事業として、2022年2月吉日に設置されました。
河津桜の時期には混雑する地元ではトイレ設置は「長年の夢」と言われ、使用開始日となった2月10日には、テープカットの簡単な式典も行われました。
設置されたのは、男子は小便器と大便器が1つずつあるだけの小さなトイレです。
これまで淀水路では、河津桜開花期間中に仮設トイレが設置されるのみでした。
他にトイレはなく、近くのスーパーやコンビニ等で拝借するしかありませんでした。これは便利です。
多くの地元住民にとっては、河津桜は地元の誇りであるとともに、混雑の原因となる迷惑施設でもあります。
トイレ設置前には、その辺でトイレを済ませるということもあったのかもしれません。
地元住民との共存を図るためにも、私たち観光客はしっかりマナーを守って河津桜を楽しむ必要があります。
公衆トイレは、淀水路から正月桜のところに少し入ったところです。
水路沿いからはほんの10メートルほどですが、脇に入ったところになります。
淀水路の河津桜に集うメジロ
淀水路の河津桜並木では、蜜を求めて多くの鳥たちが集まります。
特にメジロとヒヨドリがたくさん集まり、とても賑やかです。
1本の河津桜の木に数十羽のヒヨドリが群れ集う姿は、なかなか壮観です。
見た目も鳴き声も人気の「メジロ(目白)」
メジロは、メジロ科メジロ属の鳥です。
全長は12cmほどで、スズメよりもさらに少し小さいくらいの小鳥です。
日本から東南アジアにかけて分布し、京都では一年中見られる留鳥です。
メジロは、漢字で書くと「目白」です。その名のとおり、目の周りが白いので識別はとっても簡単です。
鮮やかな黄緑色が美しく、軽やかな鳴き声も心地よく、メジロはとても人気の高い鳥です。
あちこち飛び回りながら、一生懸命河津桜の蜜を吸う姿は、とてもかわいらしいです。
メジロは虫なども捕食しますが、花の蜜や果実が主食です。
冬の間は花も果実も少なく、わずかな花と果実や虫を食べて過ごしています。
早春一番に開花する河津桜は、梅と並んでメジロにとっては久々の御馳走です。
何とか冬を乗り越えて出会えた御馳走を前に、メジロがあんなにうれしそうに河津桜の蜜を吸いに集まるのも納得です。
とにかく動きを見ているだけでも楽しいのがメジロです。
結構すごい姿勢で河津桜の蜜を吸っていることもあります。
メジロは本当にかわいいです。
メジロはいわゆる鶯色(うぐいすいろ)をしていますが、メジロとウグイスは全然別の鳥です。
メジロはメジロ科ですが、ウグイスはウグイス科です。
河津桜開花期間中は、お天気が良い日の日中であれば、必ずメジロと出会えるはずです。
ぜひメジロを探してみましょう。
メジロは比較的人間への警戒心は強くありません。結構近くまで近づけることもあります。
ただし、飼育禁止の保護鳥獣なので、絶対に去ったりはしないように注意しましょう。
大きく撮影するなら、望遠が必須でしょう。
ちなみに桜や梅は、鳥が花粉を媒介する鳥媒花ではなく、虫媒花です。
メジロやヒヨドリが蜜を吸いに集まってくるのは基本的には迷惑でしかないのです。
なお園芸品種である河津桜同士では受粉しないため、あまり関係ないことではありますが。
河津桜は、人の手で接ぎ木によって増やします。
メジロのライバル「ヒヨドリ(鵯)」
ヒヨドリは、ヒヨドリ科ヒヨドリ属の鳥です。
ハトよりやや小さいくらいの鳥です。
カラスと同じく都市生活に適応した鳥で、京都でもどこでもよく見られる非常にポピュラーな鳥です。
ヒヨドリという名称は、「ヒーヨ、ヒーヨ」という鳴き声が由来です。
メジロと同様に虫なども捕食しますが、花の蜜や果実が主食です。
食性が似ているので、メジロがいるところでは、だいたいヒヨドリも見られます。
メジロとヒヨドリは同じ食べ物を取り合うライバルになります。
体の大きいヒヨドリの方が圧倒的に有利で、メジロが吸っている蜜をヒヨドリが横取りする光景はよく見ます。
ただし、すばしっこいメジロはすぐに別の花の蜜を吸い始めるのでご心配はなく。
人気者のメジロに比べて、ヒヨドリはあまり人気がありません。
見た目も地味だし、鳴き声はちょっと怖いと感じる人もいるでしょう。
でも、じっくり見てるとやっぱりかわいい鳥です。
メジロと同じく、お天気の良い日であればほぼ必ず見ることができます。
その他の小鳥
メジロやヒヨドリの他にも、ジョウビタキやシジュウカラ、スズメ、カラス、ムクドリなど様々な鳥たちが淀水路の河津桜に集まってきます。
2024年の河津桜の開花状況
2024年の淀水路の河津桜は、例年よりはやや早めの開花です。
2月7日 つぼみ
早咲きの正月桜だけはもう見頃ですが、淀水路の河津桜はまだつぼみで開花前です。
ただし例年よりも開花は早くなりそうです。
2月23日 三分咲き
淀水路の河津桜が咲きはじめました。
早い河津桜は三分咲きくらいまで開花が進んでいます。
2月28日 三分咲き
2月28日午前の時点では、淀水路の河津桜の開花は全体では三分ぐらいです。
蕾がだいぶ膨らんでるので、雨上がりで気温が上がったら一気に開花が進むかもしれません。
2月29日 五分咲き
気温が高かったこともあり、かなり開花が進みつつあります。
早い河津桜ではもう八分咲きくらいまで咲いています。
3月3日 七分咲き
孫橋より北側(京阪側)はまもなく見頃を迎えそうです。休日ということもあり、多くの人出でにぎわっていました。
南側(競馬場側)はまだ三分~五分咲きくらいの河津桜が多いです。
まだまだ河津桜の季節を楽しめそうです。
2023年の河津桜の開花状況
2023年の淀水路の河津桜は、2022年よりはやや早めの開花です。
例年どおりかやや遅めに開花が進行中です。
2月11日 つぼみ
2月中旬時点では、前述した正月桜はすでに見頃を迎えているものの、河津桜はまだまだつぼみです。
少しずつ膨らみ始めてはいますが、開花まではまだまだ少なくとも半月以上はかかるでしょう。
2月25日 ちらほら
2月下旬時点では、一部の早咲きの河津桜のみが咲き始めていましたが、まだ大半はつぼみです。
まだ観賞価値は全くありません。
開花が早かった2021年の河津桜はすでに五分咲きから見頃くらいでしたが、例外です。
2023年の開花は概ね例年並みかやや遅めくらいでしょう。
とはいえ、つぼみもかなり膨らんできています。
開花が遅めだった2022年と比べると明らかに開花は進んでいます。1週間近く早く咲き始めています。
1/3くらいの河津桜は部分的にちらほら咲き始めています。
3月に入ると淀水路の河津桜は一斉に開花がはじまりそうです。
京阪本線付近にある一本の河津桜だけがすでに見頃を迎えています。
例年、正月桜をのぞくと最も早く開花する桜です。
よく観察すると、河津桜よりやや色が濃く、花が下向き、花のサイズが中くらい、などの異なる点があります。
一方で正月桜とも明らかに開花期が遅く、花の色がやや薄めという違いがあります。
河津桜とも正月桜とも異なる遺伝子を持った個体であることがわかります。
まだ若木の河津桜なので特に固有名詞を与えられていませんが、もう少し大きく育ったら、早咲きの河津桜として名前が与えられるのではないでしょうか。
正月桜の次なので、節分桜とかでしょうか。節分の時期には開花前なので、バレンタイン桜でしょうか。
河津桜並木はまだ見どころはゼロですが、立派な正月桜が楽しめます。
次善の策があるのはうれしいところです。
3月9日 見頃
2023年は3月に入り、比較的暖かい日が続きました。
特に3月7日(火)~9日(木)と最高気温は20度前後まで上がり、淀の河津桜も一気に見頃を迎えました。
おおむね例年どおりです。3月10日(金)~12日(日)と、さらに気温が上がる予報です。
河津桜はまもなく満開のピークを迎えることでしょう。
他の桜と比べて開花期間が長いのが河津桜の特徴です。
あまり暑いと開花期間が短くなってしまわないかと心配なくらいです。
3月11日 満開
3月11日(土)には、満開のピークを迎えました。
淀水路が全てピンクに染まります。
ボリューム感満点のすごい桜並木です。
週末で好天ということもあって、淀水路は大賑わいです。
コロナ禍中も多くの人が集まっていましたが、この賑わいは4年ぶりです。
伏見お城まつりのマスコットキャラクターである「伏見もも丸」も来ていました。
伏見お城まつりは、毎年11月に伏見桃山城で開催されるイベントです。
「桃」をイメージしたキャラクターとして、2014年に誕生しました。
2020年~2022年は開催できませんでしたが、2023年は開催できそうです。
3月13日 見頃過ぎ
3月13日(月)の未明、京都は全線通過に伴い、かなりの風雨に見舞われました。
風雨によって、満開を迎えていた河津桜が早くも散り始めとなりました。
淀水路のあちこちでは、河津桜の花びらによって地面がピンクに染まっています。
桜シーズン後半の見どころである花のじゅうたんが見られます。
一夜にしてかなりのダメージを負った淀水路の河津桜ですが、河津桜は見頃が長いのが特徴です。
まだしばらくは美しい桜並木を楽しめるはずです。
3月25日 葉桜
ソメイヨシノが見頃を迎えた3月25日には、河津桜はすっかり葉桜になっていました。
2023年の桜の開花は記録的な早さだったので、平年だと4月上旬くらいに相当します。
開花が遅い年だったら、まだ河津桜が見頃の場合もあります。
河津桜が葉桜になった一方で、ソメイヨシノ、オオシマザクラ、ヤマザクラ、枝垂桜が見頃を迎えています。
すっかりお花見客の姿は見えなくなりましたが、淀水路の桜シーズンはまだ続きます。
淀水路ならではの見どころがあるわけではありませんが、一度この時期の淀水路を訪れてみるのはいかがでしょうか。
2022年の河津桜の開花状況
2022年の淀水路の河津桜は、かなり開花が早かった2021年と比べて開花が大きく遅れていました。
例年と比べても2022年の河津桜の開花は遅めでした。
2月19日 つぼみ
2月中旬時点では、河津桜の開花はまだまだです。
早咲きの1本の河津桜だけが、すでに五分咲きくらいまで開花が進んでいます。
2月27日・つぼみ
2月下旬に入っても、なかなか河津桜の開花は進みません。
淀水路の河津桜並木は、2月下旬でも数本の早咲きの桜のみがちらほら咲きはじめという状態でした。
2021年は2月末には河津桜は満開を迎えていましたが、2022年はまだまだでした。
3月5日・咲きはじめ
3月に入ってようやく淀水路の河津桜が咲き始めました。
3月上旬は開花が早い一部の河津桜のみある程度開花は進みましたが、全体としては開花が遅いままでした。
ごく一部の河津桜にのみ人が集中している状態でした。
淀水路の孫橋より東側(京都競馬場側)では、桜橋付近にも早咲きの河津桜が一本あります。
淀水路でも例年5番目に開花する河津桜とのことです。開花の順番がきちんと記録されているのもすごいですね。
開花が早い河津桜では、記念撮影に訪れた人が早咲きの河津桜に集まります。
満開のときは撮影スポットは選びたい放題ですが、河津桜の一部のみ開花が進んでいる場合は、記念撮影スポットは限られます。
3月12日~16日・一気に見頃に
3月中旬になると、気温が急に高くなったこともあり、一気に河津桜の開花が進みました。
3月12日には、河津桜が五分咲きまで開花が進み、いよいよ淀水路に河津桜の季節が到来しました。
4月下旬並みという高温もあり、翌3月13日には河津桜が見頃となりました。
わずか一日であっという間に河津桜のつぼみが開いたのです。
これまでつぼみからなかなか河津桜の開花が進まなかったのですが、びっくりするほど早い開花です。
好天の日曜日ということもあり、淀水路は河津桜目当てに訪れた多くの花見客で賑わいました。
河津桜が本領を発揮するのはこれからです。
ソメイヨシノなど他の桜と異なり、河津桜は開花期間が長いのが特徴です。
3月16日の段階でも、まだ河津桜には多数のつぼみがあります。
その後雨にも見舞われましたが、3月19日(土)~21日(月・祝)の三連休でもまだ十分河津桜を楽しめました。
3月21日・見頃続く
2022年は3月下旬に入っても、まだ淀水路の河津桜は見頃が続いています。
やや開花が早めだった河津桜は、鮮やかな緑色の新芽が出てきています。
開花が遅めの河津桜は、まだつぼみも残しています。
同じ河津桜とはいえ、約200本の桜並木が並ぶ淀水路は、ちょっとした日照や土壌の違いによって開花時期がややずれます。
ぱっと見ただけでは河津桜の見頃は終わってしまったかのうように思えても、場所を変えたらまだまだ満開の河津桜を楽しむことができます。
河津桜のピーク過ぎごろから楽しめるのは、散った桜が織りなす景色です。
淀水路沿いに並ぶ河津桜並木では、水路に浮かぶ花びらの花筏を見られます。
水面がピンクに染まる景色は、河津桜シーズン後半戦のお楽しみです。
2022年の河津桜は例年より開花が遅れはしましたが、淀水路の河津桜を満喫しましょう!
淀水路について
三川合流地点で栄えた淀
河川交通の要衝に位置する淀
淀の町は、琵琶湖から流れ出た宇治川、丹波から流れる桂川、伊賀・大和から流れる木津川の「三川合流地点」にあります。
合流地点で川が淀んでいたことが「淀」という地名の由来です。淀川の名称も、淀を流れる川が由来です。
淀川という名称が一般的になるのは江戸時代からで、それ以前は山城川、近江川などとも言われてきました。
古代から淀津という河港が置かれ、京都の外港として発展してきました。
かつては「與等」「與度」「與渡」などの字が充てられていましたが、平安時代末ごろから「淀」の表記が一般的になりました。、
淀の産土は今でも與杼(よど)神社という漢字が使われています。
江戸時代には、淀藩が置かれ、元和9年(1623年)の伏見廃城後は、山城国では唯一の城下町でした。要衝である淀藩には、代々譜代大名が置かれました。
京街道の宿場町として、淀川の河港として大いに栄えました。
京都と大坂を結ぶ京街道の宿場町の淀宿
水陸の要衝であった淀の陸の交通路として重要なのは、京街道です。
京都と大坂を結ぶメインルートとして、大名行列をはじめ多くの人々が行き交いました。
東海道五十三次に京街道の四宿(伏見宿、淀宿、枚方宿、守口宿)を合わせて、三都を結ぶ東海道五十七次と言われることもあります。
淀宿は日本橋から数えて五十五次目の宿場町にあたります。
古くから京都と大阪湾を淀川沿いに結ぶルートとして存在しましたが、今の形に整備されたのは、文禄5年(1596年)のことです。
豊臣秀吉が京都・伏見・大坂を結ぶ街道として淀川の堤防修築とあわせて整備しました。
未発に終わった天下分け目の淀決戦
鳥羽伏見から後退してきた旧幕府軍が淀に集結
京都と大阪の中間であり、宇治川、桂川、木津川の合流地という要地にある淀城で天下分け目の決戦が行われようとしたのが、幕末維新期。
大政奉還後の主導権を巡り、大阪城から京都へ進軍した旧幕府軍と新政府軍が激突した鳥羽伏見の戦い。
激戦の末、緒戦で敗れた旧幕府軍はいったん伏見と鳥羽から退却し、本営を置いていた淀城を拠点に新政府軍を迎え撃とうとします。
大阪城から徳川慶喜率いる本隊が駆けつければ、一気に形勢は逆転します。淀城において、一大決戦が起ころうとしていました。
淀藩が突然中立を宣言し、新政府軍が勝利
しかし、何と淀藩が旧幕府軍の入城を拒否するという予想外のできごとが起きます。
当時の淀藩主は現職の老中として江戸にいましたが、新政府側の事前工作と緒戦での敗退を見て、淀藩の留守居役が寝返ったのです。
この予想もしなかった裏切りにより、撤退しつつ逆襲を試みていた旧幕府軍は大阪へと壊走。
新政府軍の進軍を防ぐため、旧幕府軍は宇治川にかかる淀小橋、木津川にかかる淀大橋をはじめ、淀城の城下町に火を放ちました。
ここに、新政府軍と旧幕府軍の天下分け目の決戦は新政府軍の勝利に終わりました。
幻の淀城決戦は、時代の流れに押し流されて未発に終わりました。
もし淀城で戦いが行われていれば、兵力・装備に勝る旧幕府軍にもじゅうぶん勝ち目はあったと言われています。
淀藩は正確には「裏切り」ではなく「中立」を宣言したのですが、あのタイミングで中立を選ぶというのは事実上の裏切りであることに違いはありません。
難しい決断だったでしょうが、結果的に日本の歴史を大きく変えた判断でした。
淀水路畔に残る鳥羽伏見の戦いの戦跡
旧幕府軍の野戦病院だった長円寺
淀水路に隣接した長円寺には、幕府の野戦病院が置かれました。
新選組らを含む旧幕府軍の傷ついた将兵らが運び込まれました。
長円寺は、両隣の高福寺、東雲寺と並んで「三軒寺」と称されました。小規模な寺町で、いざという時は城を守る砦になったのでしょう。
長円寺の門前には、榎本武揚の揮毫による「戊辰役東軍戦死者之碑」が1907年に建てられました。
淀付近では、新政府軍が東から西へ、旧幕府軍が西から東へと進みましたが、東軍=旧幕府軍です。
長円寺の門前の掲示板には、沖田総司の「動かねば 闇にへだつや 花と水」という辞世の句が貼られていました。
沖田総司自身は、既に病のために鳥羽・伏見の戦いに参加していないというのが定説です。
鳥羽・伏見・淀の一連の戦いで150名いた新選組のうち生き延びたのは80名です。
新選組幹部では、六番隊組長の井上源三郎が淀千両松の戦いで戦死し、監察の山﨑丞(すすむ)が淀での戦いで重傷を負いまもなく死亡しました2。
閻魔堂には、新選組ゆかりの閻魔王がいらっしゃいます。
奥の恐ろしい地獄絵図も必見です。
長円寺が野戦病院となり戦禍から免れたのは、閻魔さまの前で争いを起こすことはできなかったからともいわれています。
観音堂内には、長円寺に奉納された銘刀和泉守兼定や新選組の展示が行われています。
和泉守兼定と言えば、土方歳三の佩刀として有名ですが、もちろんそのものではありません。
同じ刀匠の和泉守兼定(会津兼定)が作った刀です。淀で亡くなった会津出身者の供養のために長円寺に奉納されました。
刀そのものの展示はありませんが、刀の柄が置かれており、実際に手に取ることもできます。
近年の長円寺では、淀の河津桜の開花期間中は一般参拝の受け入れはしていません。
河津桜の開花期間以外の時期に長円寺を訪れるようにしてください。
開花時期は外から眺めるだけにしましょう。
なお、長円寺さんに河津桜の開花状況を尋ねる電話が頻繁にかかってくるそうですが、非常に迷惑しているそうです。
お寺に関係ないことでは絶対に電話しないでください。
淀の各所に旧幕府軍の戦死者埋骨地
淀には各所に旧幕府軍の戦死者埋骨碑の碑があります。
長円寺のように、一般の参拝者が入れないエリアにある場合もありますが、参拝可能な場合はぜひとずれて手をあわせてみてください。
三軒寺のひとつである隣の東運寺にも、墓地内に埋骨地碑があります。
淀水路沿いではありませんが、淀には他に文相寺、大専寺、光明寺跡に東軍戦死者埋骨地の碑があります。
歴史好きな方は、訪ね歩くのも楽しいですよ。
ホームページ:戊辰駅東軍戦死者招魂関係碑一覧
2022年2月28日には、京都競馬場敷地内から淀藩の家老屋敷跡が発掘されたことが京都市埋蔵文化財研究所より発表されました。
三川合流地点の軟弱地盤を克服するため、西日本では初めての珍しい建築技法が使われていたことが確認されました。
明治以降には淀城の廃城、木津川の付け替え、宇治川の付け替え、桂川の大規模な改修が行われ、かつてとは地形も大きく変わりました。
淀は今も京都の南玄関として、京都と大阪のベッドタウンとして、京都競馬場のお膝元として賑わいを残しています。
淀を流れる「淀水路」
かつては淀城の外堀の一部
京阪淀駅から南へ徒歩10分ほどのところに、淀水路があります。
今は「水路」という名前がついていますが、もともとは宇治川の分流のひとつです。
淀城の城下町整備によって、淀城の外堀の一部にもなっていました。
2022年3月9日付け京都新聞で淀城址に「新たに設置」と紹介されていた淀城図で言うと、上部の小さな橋(孫橋)がかかる堀が今の淀水路に当たります。
さらにその上の大きな橋は、木津川にかかる淀大橋です。
今の淀水路の水源地は京都競馬場
今は宇治川から京都競馬場付近で分流し、京阪本線を超えて桂川に合流しています。
ただし、宇治川改良に伴う河床低下によって、淀水路とは概ね1メートルほどの水位差があり、宇治川から淀水路への流れはありません。
京都競馬場を中心とする宇治川右岸(北岸)の堤防内から水が流れ込んでいます。
そのため、淀水路の水はお世辞にもきれいとは言えません。
淀の町中を東から西へと流れる淀水路は、京阪本線、旧京阪国道をくぐって桂川へと流れ込みます。
合流地点には淀排水機場があり、桂川増水時には桂川から淀水路への逆流を防いでいます。
木津川の付け替えで景観が変貌
淀水路とは現代風の名称ですが、かつては孫橋川と呼ばれていました。今も淀水路にかかる孫橋が由来です。
孫橋は、「間小橋」から転じた名称です。
木津川にかかる淀大橋と宇治川にかかる淀小橋の間にある小さな橋という意味です。
孫橋が今の形になったのは、江戸初期の「寛永の川違え」からです。それ以前も巨椋池からの排水路に木津川の分流があわさった水路に孫橋の前身となる橋が架けられていました。
淀水路付近はもともと木津川の川底でしたが、寛永14年(1637年)から3年にわたって水害対策と城下町整備のために木津川を下流(西側)へ付け替え工事が行われました。これを「寛永の川違え」と言います。
木津川の付け替えによって、淀城の城下町は南に大きく拡大されました。「淀新町」が寛延の川違えによって生まれました。
あらたに整備された孫橋川は、木津川からは切り離され、巨椋池と淀川を結ぶ放水路となりました。淀城の外堀でもあり、木津川の堤防外の低湿地の排水路でもありました。
孫橋は、幅三間半(6.3m)、長さ二十間(36m)でした。幅は今よりやや狭いですが、長さは今とほぼ同じ規模でした。
淀の三軒寺も城下町の整備にあわせて移されてきました。
「淀大橋孫橋」では、上が南側、下が北側になっています。左右に横切る街道が、大阪と京都を結ぶ京街道です。
右上から左下へと流れる大河が木津川で、そのすぐ左側を流れる小さな川が孫橋川(淀水路)です。
木津川は明治時代に付け替えられ、今は淀大橋は残っていません(宇治川にかかる橋として淀大橋という名称は受け継がれています)。
淀水路誕生時に次いで、木津川の付け替えはこれが2回目になります。
宇治川の付け替えによって、淀小橋も失われましたが、孫橋は今も健在です。
万治元年(1658年)に刊行された洛陽名所集では、左の大橋のすぐ右側にあるべき淀水路が描かれていません。
描かれた当時はまだ淀水路がなかった可能性もありますが、淀城の堀の数もかなり省略して描かれていることから、単に省略したものだと思われます。
奥の池は弁天池といいます。豪商として知られる淀屋辰五郎の別荘内にありました。
すでに明治時代の地図には記載されておらず、早いうちになくなったようです。
弁天池の弁天様は、今も京街道沿いの淀新町天満宮で祀られています。
淀新町天満宮は、淀水路の孫橋から京阪淀駅方面に1000メートルほど進んだところにあります。
正月桜と同時期に紅梅が見頃を迎えています。
橋の間にある三つの建物が、前述の長円寺、高福寺、東運寺の三軒寺です。
1867年の木津川付け替え、1925年の宇治川付け替えに伴い周辺は大きく変わりました。
今の淀水路は宇治川と桂川を結ぶ水路として残っています。
1946年撮影の航空写真を見ると、南北にくっきりと木津川の痕跡が見て取れます。
周囲よりも標高が低い淀水路周辺は水害にも遭ってきました。
京都府内で14人が死亡した1959年の「京都市8.13水害」では、淀水路の周辺が水没するなどの被害を受けました。
淀と言えば京都競馬場
かつての川と池の跡に作られた京都競馬場
淀といえば、河津桜と並んで京都競馬場でしょう。
単に「淀」と言えば京都競馬場のことを指す場合も少なくありません。
京都競馬場は、かつての宇治川の河道や巨椋池の跡に建設されました。
今もコースの真ん中に池があるのは川や池の名残です。
1925年に建設された京都競馬場では、春の天皇賞や秋華賞、菊花賞、エリザベス女王杯など数々のG1レースが行われます。
京都競馬場の収容能力は何と12万人もあります。ディープインパクトが三冠を達成した2005年の菊花賞では、13,601人もの入場者数がありました。3
京都競馬場の周囲には公園や食事コーナーもあり、家族連れも一日楽しく過ごせる観光スポットです。
2020年11月から全面的な改造工事に伴い、競馬の開催は中止されています。
一部立入禁止エリアはあるものの、競馬開催時は競馬場内部には入ることができます。
京都競馬場内にもお花見スポットが
改装前は、競馬場内にお花見コーナーがあり、地元の淀の方々のお花見で賑わっていました。
ただし、河津桜ではなくソメイヨシノなのでお花見の時期は4月初めでした。
淀水路沿いの淀緑地の東口は、京都競馬場の真裏にあたります。
東から西へと流れる淀水路の主たる水源も、実は京都競馬場です。
京都競馬場内から流れ出た水が淀水路へと流れ込んでいます。
淀水路自体の水質が良いとは言えない原因も、水源が京都競馬場であることにもあります。
京都競馬場と淀水路は切っても切れない関係にあります。
ちょうど淀水路へと流れ込むあたりの柵の向こう側が京都競馬場の3コーナーです。
京都競馬場の名物として有名な、高低差4.3メートルの通称「淀の坂」という坂道です。
淀の坂をいかに攻略するかが京都競馬場のポイントです。
幾多の名勝負が淀の坂を中心に繰り広げられてきました。
かつての宇治川や巨椋池の跡地にできた京都競馬場は地形的には平坦です。
ただ3コーナーのあたりは巨椋池に築かれた堤防である大池堤にかぶります。
1935年の京都競馬場拡大時、すでに宇治川の流路変更によって役割を終えていた大池堤の一部が競馬場に取り込まれました。
このとき、堤防を削平してしまうのではなく、堤防の高低差をそのまま競馬場に取り込んだことが、淀の坂のはじまりではないかと思われます。
2023年4月22日に京都競馬場リニューアルオープン
新しい京都競馬場のグランドオープンは、2024年4月22日の予定です。
京都競馬場の新しい愛称は「センテニアル・パーク京都競馬場」です。
センテニアルとは、「100年の、100周年の」という意味です。
グランドオープンの4月22日には、淀水路の河津桜はもうきれいさっぱり散っており、青々とした葉桜になっているでしょう。
グランドオープン時の入場は事前予約制になります。
4月30日には、さっそくG1の天皇賞(春)が開催されます。
京都競馬場は、競馬好きでなくても楽しめます。
2024年からは淀の河津桜の見物ついでに、京都競馬場もぜひ訪ねてみましょう。
淀水路付近の複雑な市町村境
京都市と久御山町が入り組む
淀水路は、京都市伏見区淀にあるのですが、一部久世郡久御山町に接しています。
淀水路の主要部ではありませんが、東側(京都競馬場側)の南側(宇治川側)は、久御山町大橋辺(おおはしべり)です。
大橋辺とは、木津川にかかる淀大橋のへりという意味です。
かつて明治初期以前まで、大橋辺の西側には木津川が流れていました。
淀水路の南側から西側は、京都市の淀と久御山町、さらには八幡市の飛び地が複雑に入り組んでいます。
なお、久御山町大橋辺と八幡長町は、京都市の小中学校区になっています。一方で八幡長町の伏見警察署ですが、久御山大橋辺は宇治警察署の管轄になります。
このような複雑な市町境になった原因は、木津川の付け替えです。
木津川の付け替えにより土地を失った人々が、木津川の廃川跡に代替地を与えられたため、このような複雑なことが生じました。
河川付け替えが生んだ微地形
淀水路一帯を歩くと、かつての木津川や宇治川の痕跡があちこちに残っており、なかなか楽しめます。
「高低差」「河川付け替え」「飛び地」がそろい、ブラタモリのネタにはぴったりなので、遠からず番組に取り上げられる可能性大です。
その他にも、淀水路の東口付近の久御山町森中内も不思議な形状をしています。
かつての巨椋池と宇治川の結ぶ水路の跡地に作られた町です。
河川付け替えが生んだ飛び地
同じく淀水路の東口付近は、向島又兵衛と言います。京都競馬場の敷地の大半が含まれます。
京都競馬場は、向島ニュータウンや向島駅とは遠く離れており、向島を関する地名というのは意外です。
かつては、宇治川と巨椋池に挟まれた中州が向島だった名残です。
宇治川の付け替えによって、向島又兵衛のみが宇治川の北岸に取り残されたのです。
京都競馬場の大半は上記の向島又兵衛にありますが、競馬場の住所は客席や事務所がある葭島渡場島町です。
葭島(よしじま)という地名は、中書島の南側一帯と、京都競馬場の葭島渡場島町に分かれています。
もともと巨大な葭島という島があったというわけではなく、江戸時代に巨椋池に多数あった葭が生える島々の総称が葭島と呼んでいました。
18世紀に島々を開発してできた新田が葭島新田と名付けられました。
京都競馬場と中書島には、別の葭が生える島があったのです。
なお、向島又兵衛も葭島渡場島町は、1931年に京都市に編入されるまでは、紀伊郡向島村でした。
久世郡に属した淀町とは郡単位で異なりました。
淀水路へのアクセス
京阪淀駅
淀水路へのアクセスは、京阪淀駅からが基本です。
1999年から14年かけた高架工事が2013年に完成しました。
移転に伴い、東(京都方面)へ約300m移設されました。
旧淀駅の京都行きホームは、目の前に淀城天守台の石垣が迫っている特徴ある駅でした。
淀駅から京都競馬場へと伸びる道は、競馬の情報誌や軽食を売る出店が並ぶ、レトロな道でした。
移設後は淀駅と京都競馬場は直結され、かつての面影はありません。
旧淀駅の敷地は、現在駐輪場となっています。
京阪淀駅は、京阪本線の石清水八幡宮前駅と中書島駅の間にあります。
淀駅には特急や快速急行は停車しませんが、急行、準急、普通が停車します。
急行と普通は朝夕のラッシュ時間帯と早朝深夜のみの運行です。
日中は、準急が毎時4本運行されます。
大阪の淀屋橋からは樟葉乗り換えで最速40分、京橋からは最速36分です。
京都の出町柳からは丹波橋乗り換えで最速26分、三条からは最速21分です。
大阪からの京都からもアクセス良好です。
京阪淀駅前のロータリーには、かつて淀のシンボルだった淀の水車が復元されています。
ロータリー付近には、河津桜が多数植えられています。
駅を出てすぐに河津桜が出迎えてくれます。
開花シーズンには、「淀の河津桜」というのぼりがあちこちに設置されています。
淀水路の河津桜本番へ向けて、胸が高鳴るでしょう。
京阪電車でのアクセス
淀駅には、中央改札口と北改札口と臨時改札口の3つの改札口があります。
2024年に河津桜シーズンには、「淀水路(河津桜)」の臨時表示もあらわれました。
案内板のとおり、淀水路は中央改札口から向かいます。
臨時改札口は、京都競馬場へのコンコースと直結しており、競馬開催時のみの改札口です。原則土日に開かれます。
京都競馬場で競馬が開催されるときはかなりの人数が臨時改札口へと流れていくので、流されないように気を付けましょう。
淀水路に行くのに目指すは中央改札口ですが、淀駅では中央改札口が中央にないので注意が必要です。淀駅ホームの中央にあるのは北改札口です。
淀駅ホームの南端(大阪寄り)の階段を降りたところが中央改札口です。
中央改札口が端っこにあるのは、2009年の淀駅高架化に伴い、淀駅は京都方面に300メートルほど移設されました。
そのため旧淀駅の中央改札口が、新淀駅の端っこになってしまったのです。
もっとも、淀水路へは北改札口から向かってもそれほどロスはありません。
中央改札口を出ると、淀の河津桜のルート案内図があります。
京阪淀駅から淀水路へは、4つのルートがあります。
いずれも、淀駅の中央改札口から出ます。中央とは言いますが、最も西側(大阪側)になります。
他に北口と京都競馬場への臨時改札口があります。中央改札口は、最も規模が大きい臨時改札口の逆側にあります。
① 京阪沿いルート(西出入口)
淀水路まで最も近い徒歩8分のルートです。
淀駅でもこのルートが淀水路までの経路として紹介されています。
混雑時には、住宅街からやや外れている京阪沿いのルートを原則として使うようにしましょう。
京阪淀駅の中央改札口を南に出て、京阪の線路沿いに西側(大阪側)へと進みます。
京阪の高架線が地上に降りてくるところに淀水路の西出入口があります。
迷うこともない、わかりやすいルートです。
② 京街道ルート(孫橋)
淀水路まで京街道に沿って歩く徒歩10分のルートです。
京街道の街並みの中を歩くことができ、淀水路のど真ん中に出ます。
ただし、住宅街の真ん中を歩くことから、混雑時にはできるだけ①の京阪沿いルートを通りましょう。
京阪淀駅の中央改札口を南に出て、京阪の線路沿い50メートルほど進むと、淀城跡の交差点に出ます。
南に左折し、ここからが京街道になります。
100メートルほど進むとセブンイレブンのT字路があり、西へ右折します。
あとは旧淀城下町の淀池上町、淀下津町、淀新町の街並みを進むと、淀水路の真ん中にかかる孫橋へと出ます。
なお、厳密にはかつての京街道はローソン淀下津店のところから右にコの字型に迂回したルートになります。
③ 東口ルート
淀水路の東口へと出る徒歩10分のルートです。
あまり使われることはありませんが、京阪淀駅までの帰路には便利です。
京阪淀駅からセブンイレブン前までは、京街道ルートと同じです。
T字路を右折して50メートルほど進んだふたば薬局の角で左折します。
あとは住宅街の中を、左手に明親小学校、右手に大淀中学校があり、京都競馬場の照明塔の直下に淀水路の東口があります。
淀水路へは、京阪淀駅から徒歩11分ほどです。
経路④ 新町緑道ルート
正月桜の咲く新町緑道を経由して淀水路へと出る徒歩10分のルートです。
まだ河津桜が本格的に開花する前で、正月桜が見頃を迎えている2月上旬ごろまでおすすめのコースです。
ただし、住宅街の細い道を通るルートです。訪れる人もまれな正月桜の時期はともかく、河津桜が見頃を迎えている時期は通過は控えましょう。
最初は①と同じで、右側の駐輪場が張り出している部分で、斜め左へと入るルートです。
かなり細い道を通る、わかりにくい道ではありますが、一本道です。
途中でY字型の分岐がありますが、斜め左に進んでください。
そのまま淀緑地へと続く新町緑道の東入口へと続きます。
路線バス・マイカーでのアクセス
路線バスでのアクセス
淀水路へは、淀新町バス停から40メートルほどです。
京阪淀駅と近鉄大久保駅を結ぶ京都京阪バスの路線バスが、日中は毎時3本程度走っています。
京阪淀駅から淀新町バス停は、4分230円です。
マイカーでのアクセス
淀水路付近に観光用の駐車場はありません。
一般のコインパーキングを利用することになります。
淀水路の周囲にはいくつかのコインパーキングがあります。
淀駅周辺には、京都競馬場利用者向けの有料駐車場も多数あります。
京街道の孫橋から宇治淀線は、朝7:30~9:00は、南向き(西向き)一方通行となるので、ご注意ください。
淀水路の近隣にあるスーパーマーケットには、「お花見でお越しの方へ 駐車場の利用は固くお断りします」との注意看板が掲げられています。
実際にそのような不届きな観光客がいるのでしょう。
河津桜は地元住民にとっての誇りであると同時に、見頃の時期には多くの人が集まる迷惑施設でもあります。
地元住民の理解があってこそ、私たちは淀水路の河津桜を楽しむことができます。
地元の迷惑にはならないよう、細心の注意を払いましょう。
駐車は必ずコインパーキングを利用するようにしてください。
公式ホームページ:淀観光協会
おわりに
関西の桜の季節は、例年2月に開花する河津桜から始まります。
まだまだ寒い時期ですが、河津桜の桜並木では美しい桜を楽しむことができます。
淀水路の河津桜は、まだまだ若くこれからが楽しみです。
関西でいち早く桜を楽しみたいなら、ぜひ京都市伏見区の淀水路へ行ってみましょう。
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