エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【288】|MK新聞連載記事
MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めてくらしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2012年4月1日号の掲載記事です。
本だけ眺めてくらしたい
iPadを買った。ノートPCで使っていたUSB接続型の3Gデータ通信スティックの「二年縛り」契約が三月十日に終了するのを待ってモバイルwiーfiルーターに買い替え、iPadを手に入れようと思っていた。
そこにタイミングよく、新型iPadが三月七日に発表されるらしいとの噂が。
ということは、決行は翌八日。実際、噂通りに発表があり、朝の内にアップルのオンラインストアにアクセス。
即、注文した。もちろん、新型ではなく旧モデルを。
前日より一万円のプライスダウン(約25%引き)で。
それはともかく、私はiPadを、自炊した電子書籍を読むためだけの目的で購入した。
そのためのアプリを二、三試してみての第一印象は、これで十分じゃないか、というもの。
今後、日常的に使い始めると、不満や要望もあれこれ出てくると思うが、それはそのうち記すとして、とりあえずiPadそのものについて、触れて感じたことを遅ればせながら一言だけ。
スマホとノートPCの中間的な存在であると見て「中途半端」と評する向きもあったが、私が思うに、日常生活にあっては、まさに丁度いいサイズと性能、カタチ(操作性を含む)ではないか。
というより、仕事以外で汎用コンピュータをあまり必要としない大多数の人々にとって、これまでのパーソナルコンピュータの歴史は長すぎる過渡期だったのであり、ようやく「身近で使える」道具になった、やっとスタートラインについたと言えるのかもしれない。
もっと言えば、今になって思うと実は人類はこのようなものを目指していたのではないかとさえ、少し大袈裟ながら思える。
ただ、あくまでその端緒についたばかりで、PCを比較的よく使う私のような者にとっては、まだまだ不便も多い。
デバイス(機器)間のデータ共有は多少考慮されているが、アプリ間のデータ共有や連携が弱い、など。
もっとも、それでもやはり多くの人には結局、特に必要なものではなく、話題性につられて買ってはみたものの、そのうち飽きてあまり使わなくなるのではないか。
あるいは、暇つぶしのオモチャに過ぎない(それは、それでいい)。
むしろ、目的意識のある、ビジネスや教育の分野で有用なツールだろう。
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MK新聞への大西信夫さんの連載記事
1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。
1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)