エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【284】|MK新聞連載記事

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エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【284】|MK新聞連載記事

MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めてくらしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2011年12月1日号の掲載記事です。

本だけ眺めてくらしたい

「退屈」とは何か。これを論じた本が、相次いで発売された。
奥付の発行日で言えば、九月に『退屈 息もつかせぬその歴史』(青土社)、翌十月に『暇と退屈の倫理学』(朝日出版社)。
たまたまだろうが、それほど多くはない類のお堅い本なので、その偶然に興味をそそられる。
もっとも、「古今東西、星の数ほど出版されている幸福論と違って、あまり論じられることのない退屈について」と評される(?)割に、実は同様の本が近年いくつか出版されている。
例えば、『退屈の小さな哲学』(集英社新書、2005年)や、その名もずばり 『退屈論』(弘文堂、2002年。河出文庫、2007年)など。
上記の内、二冊は翻訳もの。二冊は日本の著者だ。

人は、仕事や家事、受験勉強などに追われて精神的にまいることがあるが、その一方で、自分には好きな事や物がない、あるいは夢中になれるものがなく無為な時間に悩む人がいる。
何もしなくていい状態をゆったりと楽しめるか、何もすることがない状態を退屈でしかたがないと感じるかは、何が分けるのだろう……そんなことを考えるのは暇だから?
でも、少なくとも考えている間は退屈しない?かどうかは知らないけれど……高齢化社会における長い長いリタイア後の恐怖……いや、年齢に関係なく、週末にやることがないという劣等感は現代特有の悩み……いやいや、これは有史以来の普遍的かつ形而上学的な問題なのかもしれない。

ところで、NHKのテレビ番組『熱中スタジアム』や『熱中人』を観ていると、素朴に「好きが嵩じて」な天然系の人や、戦略的なアート系の人だけでなく、無意識(?)の退屈恐怖症、何かの熱中人でありたいと自らを鼓舞しているイタイひとが少なくないように感じるのは私だけだろうか。
幸い、このIT社会はどんな熱中人にでも昔よりなりやすい。
もちろん、「熱中人でありたい」現象にはアイデンティティの問題が絡んでくるにしても、とりあえず、熱中番組の登場と退屈論の相次ぐ出版は、表裏の関係にある……とは、まったく退屈な結論だが、一応の締めということで。

 

MK新聞について

「MK新聞」は月1回発行で、京都をはじめMKタクシーが走る各地の情報を発信する情報紙です。
MK観光ドライバーによる京都の観光情報、旬の映画や隠れた名店のご紹介、 楽しい読み物から教養になる連載の数々、運輸行政に対するMKの主張などが凝縮されています。
40年以上も発行を続けるMK新聞を、皆さま、どうぞよろしくお願いします。

ホームページからも最新号、バックナンバーを閲覧可能です。

 

MK新聞への大西信夫さんの連載記事

1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。

1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)

 

本だけ眺めて暮らしたい バックナンバー

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