エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【265】|MK新聞連載記事
MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めてくらしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2010年5月1日号の掲載記事です。
本だけ眺めてくらしたい
『超訳ニーチェの言葉』という語録が売れているのだそうだ。発売二か月で二十万部を超したとか。
哲学の書ではなく、自己啓発本のくくりで打ち出したのが、編集の妙。
超訳とは「編集意図に沿った極端な意訳」という意味か。
超訳本は読んでいない、読むつもりもないので、ここでは紹介しない。
ニーチェがブームの兆しというより、過去の知の遺産を手軽でおしゃれな名言集に仕立てれば、閉塞した社会を生きる若者に案外ウケるということなのだろう。
それならネタはいくらでもある。
お次は、そのニーチェが心酔したショーペンハウアーはいかが。こちらは近年あまり流行らないようだけど。
確かに、ニーチェはハマる。私は社会に出てから、ちくま学芸文庫版の全集(全十五巻+別巻四)に次々と手を出した口だが、今では、この文庫版全集もその内の何冊かが品切れになっているようだ。
それはともかく、夏目漱石をはじめとする近代日本の知識人たちもニーチェにハマった。
萩原朔太郎しかり、芥川龍之介しかり。
その他、高山樗牛、坪内逍遥、新渡戸稲造、和辻哲郎、阿部次郎など、濃淡は様々だがニーチェに影響を受けた、あるいは関心を示した作家や評論家は多い。
彼ら、それぞれのハマりぶりを綿密に検証しているのが杉田弘子著『漱石の「猫」とニーチェ』(白水社)。豊富な索引と注、いまどきにしては小さめの文字と少し狭い行間の、四百頁を越す労作だ。
書名は、漱石『吾輩は猫である』へのニーチェ思想による影響について論じた章の題名から。
ニーチェ『ツァラトゥストラはこう言った』の英訳本に漱石が直接記した書き込みや創作メモと、『猫』の文章をつき合わせ、いつごろ漱石が『ツァラトゥストラ』を読み、それに刺激されてどんなことを考え、彼の小説のどこに反映されているかを探っている。
ただ、その影響とは、単に西洋からもたらされた〈ちょっとクールな思想〉にかぶれた――のではなく、漱石は主体的にそれを消化し、発展させていると著者は見る。
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MK新聞への大西信夫さんの連載記事
1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。
1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)