エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【242】|MK新聞連載記事
MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めてくらしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2009年2月16日号の掲載記事です。
本だけ眺めてくらしたい
『読んでいない本について堂々と語る方法』(ピエール・バイヤール、筑摩書房)というユニークな本が出版された。
せっかくなので、この本は「読む」前に紹介することにしよう。
読みたい本が数え切れないほどあり、そのすべてを読めもしないのに大量に買い込む私にとって、よくぞ出版してくれた、今後の人類の共通認識として皆に読んでおいてもらいたい、そう快哉を叫びたくなるような本だ。ちょっと大げさに言えば。
その書名から、「読んでいない本について堂々と語る」人に対する皮肉な批判本、あるいは文字通り「読んでいない本について堂々と語る」ための姑息なハウトゥ本を想像されるかもしれないが、本書は、本を「読んだ」とか「読んでいない」というのはどういうことかという本質的な問いを考察する、「こむずかしい」本なのである。
本というものは、「読んだ」か「読んでない」の二つに一つの状態しかない単純なものではない――本が好きな人にとってはあたりまえの認識だが、本にあまり親しんでいない人ほど、「読んだ」のか「読んでない」のかという事実(というフィクション)にこだわる嫌いがあるようだ。
「買った本は全部、読んでいるんですか」と聞かれることがある。
素朴な質問というより、「本は読まなきゃ意味ないでしょ」と指摘したいらしい。
そんなニュアンスが語調ににじんでいる。そんなとき私は、ただ「全部は読んでません」と答える。
「本を読むとはどういうことか」という決して一筋縄ではいかない説明をするのがじゃまくさいからだ。
それに、その人はおそらくそんな議論を望んではいないだろう。というより、そもそもこの私の問題意識そのものがピンとこないかもしれない。
もちろん、相手を見て、単に世間話として他意がないようなら、私も誠実に自分の考えを手短に伝えようと試みる。
が、「コレクター」とか「愛書家」という言葉を侮蔑的なニュアンスで使いながら「自分はモノとしての本には興味はない」とか「私はモノ(本)を集める趣味はない」などとことさらに言いたがる人も世の中にはいる。
いやはや、キザなセリフだなあ。
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MK新聞への大西信夫さんの連載記事
1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。
1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)