エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【210】|MK新聞連載記事
MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めてくらしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2007年10月16日号の掲載記事です。
本だけ眺めてくらしたい
インターネット書店のアマゾンに、カスタマーレビューが載っている。「お客様」による書評、読後感想といったものだ。
評論家や作家、学者などの書評と違って、一般人の「感想文」感覚に親しみを持って参考にしている方もいらっしゃることだろう。中には新聞や雑誌の書評よりも手短で的確に、またおもしろく紹介しているものもある。
その一方で、メジャーな印刷媒体ではあまり見られないタイプのレビューもある。それは、両極端のもので、片やウソくさいほどのベタ誉め、片やボロクソ。冒涜(とく)的、悪意を含む表現はダメというガイドラインがあるので、批判者は、理屈をこねながらも厳しい表現で論難したり、もしくは高みからそれとなく否定してみせたりして、巧妙に腐す。翻訳ものなら、訳を貶(けな)すのもひとつのパターンのようだ。
反論も載る。掲示板ではないので、批判的な書評に直接反論するわけではないが、まるでそれに対抗するかように、あるいは逆に、そ知らぬ振りで冷静に誉める書評を投稿する人が現われる。レビューは匿名だからわからないのだが、その人はもしかしたら著者か、その関係者ではないかと思うことがある。
否定派、肯定派が三、四人、批評でやりあっている本のジャンルには、傾向があるように見える。例えば、比較的新しく海外で生まれ「輸入」された学問など。心理療法もそのひとつ。紛らわしいほどよく似た名称の協会や、師匠筋の違う「流派」が幾つもあったりする世界だ。
だから、弟子や仲間がベタ誉めのレビューを書いているのではないか、他の「流派」のレビューをボロクソに書いているのではないかと、かんぐりたくなる。著者自身が自著を誉めたり、自著への批判に反論したり、「ライバル」を批判したりもしているかもしれない。あるいは、出版社の社員が宣伝目的にせっせと書き込んでいたりして。
考えてみれば、そもそも匿名性の高いインターネットとはそういうもののはず。インターネット全体としてはそう理解していても、有名なネットショップのきれいに整備された店内の投稿欄では、つい、そのことを忘れがちになる。書評が一つで、ベタ誉めかボロクソだったら御注意を。
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MK新聞への大西信夫さんの連載記事
1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。
1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)