エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【201】|MK新聞連載記事

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エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【201】|MK新聞連載記事

MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めてくらしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2007年6月1日号の掲載記事です。

本だけ眺めてくらしたい

「やってみなわからへん」という言葉はなぜか会社で、特に会議でよく耳にする。しかも、そういう使い方は違うんじゃないの?というものだ。
例えば会議でAさんが営業計画を提案したとする。そこでBさんが、そのターゲットとその戦略では成功する確立が低いと根拠を挙げて異議を唱えたとする。するとAさんがイライラしながら言うのだ。「やってみなわからへんやん」と。
この場合、Aさんは理屈でBさんに反論すべきで、「やってみなわからへん」は説明責任の放棄、思考停止に他ならない。限られた人材や時間などの資源を投入するのだから、成功する確率が高いと考えられるプランを上から順に実行するのが企業としては当然ではないか。何も考えず反射的にこの言葉を吐かれたら、がっくりくる。
もう一つ。Cさんがある営業計画を提案。上司のDさんが難点を指摘し「本当にそれで、できるんだね」と念を押したとする。するとCさんが「やってみなければわかりません」。これは「何にせよ絶対ということはありません。誰だって失敗することはあります」という意味だろう。

運命論ならともかく、経営会議に相応しい返事ではない。喧嘩を売っているとしか私には思えない応答だが本人に他意はないのだろう。自らの言葉が意味するところに自覚がなく、反射的に口にしてしまう癖のようなものなのだろう。

ところで、「やってみなわからへん」と似て非なる言葉に「やってみなはれ」という言葉がある。試しにインターネット書店で検索してみるといい。この一般的でない言葉が書名になっている本がいくつもある。実は、一部を除いてこれらはすべてサントリーの創業者・鳥井信治郎について書かれた本だ。彼がよく口にした言葉だという。
そこには、自発的な社員のユニークな発想と、それをおもしろがり、信頼し、任せ、自らトライする鳥井の哲学が読み取れる。その社風が好循環を生む。
使い道次第で、「やってみなわからへん」は常識や自らの殻を打ち破る良い言葉になる。が、対話拒否と自己保全から「やってみなわからへん」と言う社員に「やってみなはれ」とは言えない。そう、「やりたいんです」と言う社員にこそ「やってみなはれ」と。

 

MK新聞について

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40年以上も発行を続けるMK新聞を、皆さま、どうぞよろしくお願いします。

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MK新聞への大西信夫さんの連載記事

1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。

1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)

 

本だけ眺めて暮らしたい バックナンバー

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