エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【191】|MK新聞連載記事
MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めてくらしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2007年1月1日号の掲載記事です。
本だけ眺めてくらしたい
サイクルが短い昨今の流行にしては「落語ブーム」は意外に長続きしているようだ。少なくとも、落語に関する本は今も次々と出版されている。と言っても、現実には東京の落語家や江戸落語についてのものが多いようだが。
しかし、正直言って落語はやはり上方落語に限る。それは単に地元かどうか、あるいは好みの問題と言われるかもしれないが、ここでは認めない。関西人は普通の人でもおもしろい、笑いのレベルが高いという一般論は通用するのに、もし落語はそうでないとするのなら、落語が他とは違う高級な芸だと勘違いしているとしか思えない。
昨秋、『上方落語家名鑑ぷらす上方噺』(出版文化社)が出版された。上方落語家198名を紹介。写真、経歴などのデータとあわせて掲載している。また、上方落語の代表的な噺180本のあら筋と聴きどころを解説。巻末に桂春団治と笑福亭鶴瓶の対談、上方落語年表と落語家系図を付した、上方落語ファン待望の決定版だ。落語家一人ひとりへの取材をもとにしたプロフィールは、小さいが読み物として興味深い。薄く軽快な本に仕上がっているが、短期間での取材は大変だったろうと想像する。
私の好きな落語家は、桂枝雀に桂吉朝。二人は残念ながら、この本の物故者の欄(23名)に収められている。考えてみれば、物故者の数が現役よりもはるかに少ないというのもおかしな話だが、この本は落語を今楽しみたいという人のためのガイドブックだからそれでいい。
ただ、上方落語は戦後長らく低迷した時代があり、高座の速記録や録音などを今に残すことができるほどの人気を博した、また今の人の記憶に残る上方落語家が少ないというのも残念ながら事実かもしれない。出版や放送、寄席も昔から東高西低だったのだ。
枝雀の落語は、ちくま文庫から全五巻で刊行されていて読めるし、枝雀も吉朝もテレビを個人的に録画したものや市販のCD・DVDがあるから、この正月はそれを聴くとするか。
いや、せっかく寄席の常打小屋である天満天神繁昌亭ができたことだから、かつて枝雀や吉朝の高座に足を運んだ頃のように、今年からはまたライブの落語を聴きに行こうか。
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MK新聞への大西信夫さんの連載記事
1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。
1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)