エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【185】|MK新聞連載記事
MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めてくらしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2006年10月1日号の掲載記事です。
本だけ眺めてくらしたい
古本には、いろんな大きさや形、装釘(折本、巻物、函入など)があって楽しい。何年か前にこの欄で、本や雑誌の内容が規格化しているという話を書いたことがあるが、あるいはこれは順番が逆だったのかもしれない。エッセイなどのお決まりの言いまわしなら「本は今や、大きさや形だけでなく、その内容まで規格化されてしまった」となるところだろう。そして「その点、洋書は日本の本と比べると本の大きさや形がバラエティに富んでいて……」と続くわけだ。
ただ、本の本質は内容つまり情報か、物体かという本質的な問いがあることを考えると、話はそう簡単ではない。情報か物かとの問いは何も本に限ったことではないが、なぜか本はしばしば言及される。
マスメディアの影響力拡大による読者の指向や好みの類型化によってその内容が規格化したのは、経済発展による流通の効率化にともなう本の外形の規格化と同様、近年に始まったことではないのだろう。
本の大きさや形、装釘といった物理的な側面はデザインを構成する要素でもあるが、デザインから読者の感性が受け取るものは、形ある物ではない。また、仮に本の本質が情報だとしても、分類し書店で並べるという物理的な行為なしには読者の手に届かない。
書店という限られたスペースに無駄なく商品を並べるには、確かに規格化されている方がよい。岩波文庫が創刊されたのが1927年で、以後、岩波書店が新たな規格のシリーズである新書判、ライブラリ判(後に岩波は撤退)を創刊すれば各社がそれに倣った。菊判、四六判、A5判、B6判なども含め、本は書店の棚に整然と並んでいる。
店の棚と言えば昔、ウイスキーの「オールド」が、背の低いボトルにぴったりの専用棚を飲み屋に造り付けて、他社の酒を追い出したという“神話”が有名だが、逆に角川書店が1996年に創刊した手のひらサイズのmini文庫は、実用新案を申請し、新たな判型としては市民権を得ることはできなかった。
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MK新聞への大西信夫さんの連載記事
1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。
1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)