エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【183】|MK新聞連載記事

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エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【183】|MK新聞連載記事

MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めてくらしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2006年9月1日号の掲載記事です。

本だけ眺めてくらしたい

私は、他人のことを書くのが仕事だ。が、まさか自分が書かれるとは、思ってもいなかった。
知人――と言っても、月に一度「映画を語る会」で同席するだけで、それまで個人的な付き合いはなかった――に一冊の文芸同人誌をもらった。その中には、彼が創作した短編が収録されている。持ち帰って読んでみると、自分らしき人物が出てくるではないか。設定が微妙に変えられているが、まぎれもなくこの私である。もちろん、実話ではない。私をモデルに造型された架空のキャラクターが、私の知らない虚構世界を自由に動きまわり、しゃべっているのだ。何とも不思議な感覚だった。
恥ずかしいと言おうか、くすぐったいと言おうか。小説の語り手は、私の分身のことを好意的に描いてくれていたので、悪い気はしなかった。そんな話をした覚えはないのだが、作者の創作だろうか、それともやはり私が自分の生活について話したことがあったのだろうか、登場人物が本物の私に似ているところがあって、笑ってしまった。

その後、「小説の作者と登場人物のモデルという御縁」ではないが、たまたま作者と個人的に呑む機会があった。その短編は連作の第一話だったのだが、これで私に対する彼の印象が変わって、登場人物の性格や言動に微妙な変化があったらおもしろいなあと内心で思っていた。例えば、私の分身がだんだんと意地悪になったりして……。
彼と顔を合わせる唯一の機会である映画の会を何度か欠席していたところ、先日、同人誌の最新号が職場に郵送されてきた。早速読んだ。が、第二話に私の分身は登場しなかった。一緒に呑んだのがよくなかったのか(笑)、初めからそういう構想だったのかはわからないが、正直に言うと、少しがっかりした。

私の分身が本物の私とまったく違った行動をとり、本物の私がしゃべりもしないことをしゃべるのを、また見てみたいと、私は密かに期待していたのかもしれない。それは必ずしも自分を善人に描いて欲しいということではない。多面的なひとりの人間として、自分では気づかない一面を見たかったのだろう。
あるいは、そういう思いが、自分も小説を書いてみようというきっかけになるのかもしれない。

 

MK新聞について

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40年以上も発行を続けるMK新聞を、皆さま、どうぞよろしくお願いします。

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MK新聞への大西信夫さんの連載記事

1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。

1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)

 

本だけ眺めて暮らしたい バックナンバー

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