フットハットがゆく【106】「ウィークポイント」|MK新聞連載記事
MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、塩見多一郎さんのエッセイ「フットハットがゆく」を2001年11月16日から連載しています。
MK新聞2006年4月1日号の掲載記事です。
ウィークポイント
野球のWBCで大いに盛り上がった3月だが、ボクシングのWBCもあった。
MKタクシーでも宣伝していた、世界ボクシング評議会(WBC)のバンタム級世界戦、長谷川穂積vsウィラポン・ナコンルアンプロモーション(タイ)の試合が3月25日に神戸で行われた。
結果は長谷川穂積の9ラウンドTKO勝利。
壮絶にマットにうつぶしたウィラポンを見た時、僕は長谷川の勝利を喜ぶとともに、一抹の寂しさも覚えた。
ウィラポンはノーモーションの右ストレートを得意とする、ウイークポイントのない圧倒的な実力者。
常に無表情なところから『デスマスク』というあだ名がある。
1998年に浪速のジョーこと辰吉丈一郎からWBC世界チャンプのベルトを奪った。
辰吉は「ガードがあまい」などのウイークポイントを抱えながらも、圧倒的な攻撃力で若くして世界チャンピオンになった日本ボクシング界のヒーロー。
網膜裂孔、網膜剥離というボクサーとしては致命的な眼病から復活し3度王者に返り咲いた。
長野五輪・スキージャンプの原田選手や、野球WBCでの王ジャパン奇跡の大逆転優勝に匹敵するドラマチックなボクシング人生を送ったのが、辰吉なのである。
僕は辰吉の大ファンだったので、何度もその試合を観に会場に足を運んだ。
そして1998年、ウィラポンに失神KOさせられる姿も生で見た。
満を持してのリマッチ(99年)も返り討ちに合い、「辰吉の時代は終わった…」と僕は泣きながら思った。
そのリマッチの時に思ったのが、「ウィラポンはいいやつ」である。
結果的には7回TKOとなるのだが、試合はほぼ前半から勝負がついている状態であった。
辰吉はウィラポンのノーモーションパンチを何度も受けて、ただ根性で立っているだけの状態であった。
ウィラポンはそれ以上無理に殴ろうとせず、何度もレフェリーの方を見てはストップを促した。
最後は立ったまま失神した辰吉が倒れないように、レフェリーとともにその体を支えたのである。
ウィラポンは日本のヒーローを負かした憎き相手ではあるけども、「デスマスク」とは裏腹に、尊敬に値する実力と人格の持ち主だったのである。
その辰吉との防衛戦後、ウィラポン王朝が始まった。
日本の新ホープ西岡利晃の挑戦を4度しりぞけるなど、2005年春に長谷川穂積に判定負けするまでの6年間、WBCの世界タイトルを14度も防衛した。
そのウィラポンが今回のリマッチで長谷川に壮絶なKO負けを喫し、「またひとつ時代が終わった…」と思うと、やはり寂しかった。
ウィラポンは37歳であり、年齢的にも今後現役を続けるのは厳しい状態。
ちなみにジャンプの原田雅彦選手も今シーズンで引退した。
彼も37歳だし、ついでに僕も今月37歳になる。
だから余計に、同年代の選手の敗北や引退に、心から寂しさを感じるのである。
すぐに感傷的になるのが僕のウイークポイントでもある…。
テレビ放送ではちらりとしか映らなかったが、呆然と控え室に戻るウィラポンに、辰吉が付き添っていたのが印象的だった。
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