アメリカの源流~イエローストーン国立公園~③|MK新聞連載記事

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アメリカの源流~イエローストーン国立公園~③|MK新聞連載記事

MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、フリージャーナリストの加藤勝美氏よりの寄稿記事を掲載しています。
食満厚造さんのアメリカの源流~イエローストーン国立公園~③「そして、帰路へ」です。
MK新聞2013年11月1日号の掲載記事です。

そして、帰路へ

帰り道で車が渋滞し出す。事故か工事か。
エルク鹿が10mほど先の草原に微動だにせず座っていた。
間もなく、おなじみレンジャー隊員が駆けつけ交通整理を始めた。
ロッジに戻り、昼食はカフェテラスで済ます。このカフェテラスにもディナーメニューにプライムリブがあったので、ディナーをここで取ることに決めた、安い。

明け方の6時頃、あまりの寒さに目が覚めた。
タワールーズベルトから風邪気味が続く。思うにタワールーズベルトの時もキャビンの部屋にストーブがあり、牛糞練炭とマッチが置かれていたが、真夏の暖房など思いもしなかった。
オールドフェイスフルやマンモスホットスプリングと違い、地下に温泉がないから寒いのだと思い至ったが、時すでに遅しだ。
この部屋にもエアコンがある。今から暖房を入れると、部屋が温まるのはここを出発する頃になるだろう。
これから来る日本人には明け方は寒気がひどいので、夏でも暖房を入れて休むようにと注意してあげよう。
ここで2泊して、いよいよ最後のレイクイエロ―ストーンへ向かう(約29㎞)。

最後の晩餐のステーキ

最後の晩餐のステーキ

レイクイエローストーンで最後の晩餐

南下しながらハイデンバレーではバッファローの大群を写真に写す。道路上に飛び出してくるバッファローもいるので怖い。
10年前にJICA(独立行政法人国際協力機構)のシニア海外ボランティアとしてモロッコにいたが、マラケシュからカサブランカへ移動中に馬が飛び出し、正面衝突したことがある。
フロントガラスに腹が乗り、背負い投げで投げ飛ばし、フロントガラスが網状に砕けただけで何とか命拾いをした記憶が蘇(よみがえ)った。
さらに南下、サルファコルドラン、マッドボルケーノに立ち寄ったが、ここまで来るとただの泥の噴出で、いまひとつ感動が小さい。

鷹の仲間、オスプレイ(ミサゴ)の標本

鷹の仲間、オスプレイ(ミサゴ)の標本

フィッシングブリッジに立ち寄り、レイクイエローストーンホテルに着く。
このホテルにはシャワーでなく浴室にタブがあったのでほっとする。
夕食の予約をしたが、21時45分まで満席。
明日は早朝ジャクソンホール空港からソルトレイクシティーに出発しなければならないが、イエローストーンの最後の夜は遅くまでゆっくりしようと決め、遅い時間だが予約した。
イエローストーンでの最後の晩餐にはテンダーロインを食べた。
鳥類の標本が主に展示されているフィッシングブリッジミュージアム兼ビジターセンターを訪ね、イエロ―ストーンを代表するトランピータスワンの標本を見る。
日本で話題だったオスプレイの標本も陳列されていたので、これも写真に収める。確かに話題の軍事ヘリコプターに似ている。

フィッシングブリッジミュージアム

フィッシングブリッジミュージアム

ホテルイエローストーン

教えられた通りガルポイントまで行き、ホテルを湖の反対側から見た。
天橋立に似た風情がある見どころであった。
夕方からホテルの広いロビーでホテル専属の「レイク弦楽四重奏」の演奏が始まった。
素人の耳にも、高いレベルとわかった。薄明の20時20分「星条旗永遠なれ」を演奏し始め、窓外の国旗を引き下ろしたが、周りの人が全員起立する。つられて私も起立していた。
私の旅も終わりだ。この旅行では、オールドフェイスフル、マンモスホットスプリング、キャニオンに各2泊、タワールーズベルト、レイクイエローストーンに1泊のスケジュールを組んだが、振り返って、過不足なく適切だったと思う。
明日は帰国に向けて空港に向かう。

前日ホテルイエローストーンからジャクソンホール空港までの3時間のドライブに必要なガソリンを補給しておく。
どのくらい要るのか専門家の意見を訊くべくガスステーション(ガソリンスタンド)で質問すると、居合わせた2人の従業員が異口同音に「満タン」と教えてくれる。
細かい計算をしないアメリカ人にとって3時間走るには満タンという計算しかないので、注意が必要。
レンタカーのガソリン代を損することになる。

帰路へ・・・

ホテルを7時に出発、ちょうど2時間でスネークリバーオーバールック(高台)に到着した。
途中、ウエストサムを過ぎた時点で、エルク鹿が朝食するのに出くわす。
熊やオオカミを除く野生動物を見ることができたこの旅行もいよいよ終わる。これで見納めか。

繰り返すことになるが、イエローストーンと違い、このグランティトン国立公園は、山、川、草原、湖をすべて備えている。
帰路の最初のオーバールックはスネークリバーの蛇行を見るポイントである。
次のスポットではグランドティトン連山を見上げる。
グランドティトンの山々が勢ぞろいし、観光客を待ち受けている。中心はグランドティトン山。“Teton(ティトン)”とは乳房を意味し、“Grand Teton”とは、先住民が山並みを模して 「巨大な乳房」と表現したことに由来するらしい。
さらに氷河が退行するグラシア(氷河)を見て、ジャクソンホール空港に到着。908.8㎞の旅程が無事終了。

蛇足ながら、関空行きのUAに乗るため前泊したソルトレイクシティーで食べた米国産のフィレステーキも美味しかった。
脂肪だらけの神戸牛では、グルテンフリーの米国牛に勝ち目はないと確信した。
TPPの難しい論議は別にして、いつか日本でも2~3千円程度で美味しいプライムリブやサーロインが食べられることを願う。

なぜイエローストーンなのか。グランドキャニオンでもヨセミテでもなく、イエローストーン。
ここには、ベトナム、イラク、アフガニスタンで傷ついたアメリカの源流、今もって立ち戻っていかなければならないアメリカの開拓者たちの栄光と汗と涙が凝縮された世界、それらを疑似体験できる世界があり、誰隔てなく提供する。
車社会になっても、あるいはなればこそ、イエローストーンはアメリカ人の魂の中に存在し続けるであろう。
唯一の成功体験として。

 

MK新聞について

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「MK新聞」は月1回発行で、京都をはじめMKタクシーが走る各地の情報を発信する情報紙です。
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フリージャーナリスト・加藤勝美氏について

ペシャワール会北摂大阪。
1937年、秋田市生まれ。大阪市立大学経済学部卒
月刊誌『オール関西』編集部、在阪出版社編集長を経て、1982年からフリー
著書に『MKの奇蹟』(ジャテック出版 1985年)、『MK青木定雄のタクシー革命』(東洋経済新報社 1994年)、『ある少年の夢―稲盛和夫創業の原点』(出版文化社 2004年)、『愛知大学を創った男たち』(2011年 愛知大学)など多数。

MK新聞への連載記事

1985年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。

1985年11月7日号~1995年9月10日号 「関西おんな智人抄」(204回連載)
1985年10月10日号~1999年1月1日号 「関西の個性」(39回連載)
1997年1月16日号~3月16日号 「ピョンヤン紀行」(5回連載)
1999年3月1日号~2012年12月1日 「風の行方」(81回連載)
2013年6月1日号~現在 「特定の表題なし」(連載中)

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