エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【343】|MK新聞連載記事

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エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【343】|MK新聞連載記事

MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めてくらしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2016年11月1日号の掲載記事です。

本だけ眺めてくらしたい

いつごろ、誰が造語したのか知らないが、「和製英語」というのは奇妙な表現である。
アフレコ、オートバイ、サラリーマン、ジーパン、ライブハウスなどが「和製英語」だと言われる。
でも、そもそも、これらは「英語」ではなくて、日本語ではないだろうか。
だって、日本語の中で日常使われている語句、言葉なのだから。
なのに、「オーダーメイドなんて言っても海外では通じません!」と、英語を母語とする人や堪能な日本人が偉そうに、あるいは、おもしろおかしく指摘する。
でも、それなら、やはり「英語」ではなく日本語ということになるのではないだろうか。
あえて言うなら、「英語由来の日本語。あるいは、英単語を勝手に組み合わせたり略したりした英語風日本語」か。
そういう意味では、むしろ英語として通用するようになった日本の語句を「和製英語」と呼ぶほうが文字通りであると思うのだが、どうだろう。
tsunami,umami,otaku,kawaii,mottainai……など。だって、これらは日本製の英語、でしょ?

「和製英語」は外来語の一部であり、英語圏以外からの外来語同様、語形や意味が変化して定着することもある、あくまで日本の言葉。
英語で通じなくても当たり前のことに過ぎない。
ただ、「和製英語」と英語の語句が同じだと勘違いしている人もいるから(その人はきっと英語風に器用に発音するのだろう)、英会話学習における注意点の一つとして、先生が「和製英語」に言及するのはわかる。
しかし、「フライドポテトなんて言っても海外では通じません!」というような物言いには、単に実用上の注意を促す以外に、「それはきつい地方訛(なま)り、方言英語です」というレッテル(英語では label)を貼りつける意識があるような気がする。羞恥心や劣等感を刺激するレッテルを。

ところで、近年、アニメやコスプレなど、日本の大衆文化が海外で人気だ。日本の語句でそのまま英語でも使われるものも増えている。
中には、邦略形の外来語が逆輸出され、さらには「和製英語」までも海外の若者が日本式の平板な発音をマネて使ったりしている。
そう、“和製英語だから”通じない、わけではない。

MK新聞について

「MK新聞」は月1回発行で、京都をはじめMKタクシーが走る各地の情報を発信する情報紙です。
MK観光ドライバーによる京都の観光情報、旬の映画や隠れた名店のご紹介、 楽しい読み物から教養になる連載の数々、運輸行政に対するMKの主張などが凝縮されています。
40年以上も発行を続けるMK新聞を、皆さま、どうぞよろしくお願いします。

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MK新聞への大西信夫さんの連載記事

1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。

1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)

 

本だけ眺めて暮らしたい バックナンバー

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