エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【259】|MK新聞連載記事

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エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【259】|MK新聞連載記事

MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めてくらしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2009年11月1日号の掲載記事です。

本だけ眺めてくらしたい

ドキュメントスキャナーでデジタル化するようになって、物としての新たな書類が増えなくなった。
スキャナーを購入する前の書類や記事の切り抜きは、意識的に「少しずつ」PDF化することにしている。
手段が目的化したり、やるべきことがひとつ増えたようになったり、しないように。

身の周りから書類という物が減るのはやはり気持ちいいもので、ついどんどんとやりがちになる。
もっとも、気持ちいいのなら抑制せずにやればいいわけで、仕事ならともかく、遊びや趣味はそもそも合理的な結果ではなく、行為そのものが楽しいのだから。
それに、記事の切り抜きは、紙をコレクションすることや、またスクラップブックを作ることが目的なのではない。
いやそれどころか、私にとって記事の切り抜きは、将来何らかのアウトプットに利用することが目的ですらない。
自らの興味や問題意識をひっかけておくフックであり、何かの折に目にするために保存しているという理由が大きい。
それらは、対象について断続的に考え続けたり、連想から新たな意識を生み出すための刺激を与えてくれる。

そういう意味では、本を選び、購入し、所有するのとどこか似ている。
図書館で借りて読んで返したり、買って読み終わったら処分するのではなく、物として身のまわりに存在することに意義があるのだ。

この「物として」「存在」するということについて、IT技術の発達により、新たな「ありよう」が加わったという言い方ができるのかもしれない。
PDFは物ではない。では、情報の中身だけがその実体かと言えば、そんなことはない。
対象として目に見え、物のように扱える形で「それ」はそこにある。
書類や記事、本をPDF化する作業や時間は、単に手段でもなければ目的でもないし、やりようによっては無駄ではない。
前述した「何かの折に目にする」の「折」のひとつであり、自らの興味や問題意識を再確認したり、再編するいい機会でもある。

ところで、世の中には「手段の目的化」を過剰に恐れる人がいる。
その人は逆に、世俗的な細切れの「目的」に囚われ過ぎているのではないだろうか。

 

MK新聞について

「MK新聞」は月1回発行で、京都をはじめMKタクシーが走る各地の情報を発信する情報紙です。
MK観光ドライバーによる京都の観光情報、旬の映画や隠れた名店のご紹介、 楽しい読み物から教養になる連載の数々、運輸行政に対するMKの主張などが凝縮されています。
40年以上も発行を続けるMK新聞を、皆さま、どうぞよろしくお願いします。

ホームページからも最新号、バックナンバーを閲覧可能です。

 

MK新聞への大西信夫さんの連載記事

1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。

1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)

 

本だけ眺めて暮らしたい バックナンバー

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