エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【215】|MK新聞連載記事
MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めてくらしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2008年1月1日号の掲載記事です。
本だけ眺めてくらしたい
インターネットのサイトやブログで誰もが手軽に自分の文章を他人に読んでもらえるチャンスを持てるようになって久しい。
それでも、やはり本を書きたいという人は多い。著書を出版するということは、今でも特別なことのようだ。
ただ、一所懸命に原稿を書いて、がんばってお金を貯めて自費出版しても、「一人でも多くの人に読んでもらいたい」と、自分の足で売り歩くような人はあまりいない。
著者になった気分は味わいたいけれど、売る努力まではしないし、営業はできないという人は、友人知人に贈りものとして配れるだけ配って残りは家のどこかで眠っているというパターンが一般的ではないか。
だからこそ、「あなたの本が全国の契約書店に並びます」と宣伝して客を集める自費出版が専門の出版社が現われたり、「自分の本が書店に並んでいる様子がない。詐欺だ」と訴えられたりするのだろう。
また、ある文芸誌が主催する文学賞の応募数が、その文芸誌の発行部数よりも多いという笑い話を聞いたことがある。小説を読まないけれど、小説家になりたいということらしい。
「活字離れが年々進んでいる」と巷(ちまた)でよく言われるが、読み手よりも書き手の数の方が多い時代なのかもしれない。
ところで、日本を代表するある仏教宗派の寺務方のトップ(当時)であるK師を本山で見かけたことがある。
地方から訪れた十人程の信者に本山を案内し終ったところのようであった。
そこに弟子の僧がK師の著書を持って現われると、K師は「私が書いた本です。よかったら買って下さい」と言って頭を下げた。
K師は新聞やテレビでも名の知れた方である。その地位ゆえに、まとまった注文もあるだろう。
にもかかわらず、そうして自らの口で「買って下さい」と言葉にして一冊一冊手売りしていることに感心した。
もちろん、著書を一冊でも多く売ることが僧として仏の教えを弘めることになるのだろうが、そうでなくとも、本を書くということは本当はこういうことなのだと思った。
出せばそれで満足して終わり、ではない。読む人の手に届け、中身を伝えて、本はその命をまっとうする。
そこまでやる覚悟で書くものだと。
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MK新聞への大西信夫さんの連載記事
1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。
1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)