エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【172】|MK新聞連載記事
MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めてくらしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2006年3月16日号の掲載記事です。
本だけ眺めてくらしたい
読書には、いつのまにか形成された自分なりのテーマがいくつかあって、それは例えば「ちんどん屋」でも「花火」でも「マネキン人形」でも「蔵書票」でも「蛍」でも何でもいいのだが、それに関する本が新たに出版されたら、思わずつい買ってしまう。
そういったテーマは、ある程度絞り込まれた小さなものほど、読んだり、意識して本を蒐集したりするのはおもしろい。ただ、それは微妙なバランスの上に成り立っていて、「コカ・コーラ」など具体的で特殊なものだと、古書や洋書を含めても容易に手に入るものは数が少な過ぎるし、逆に「記憶」や「時間」に関する本というようにテーマが大きすぎると、「好きでよく読む本」であっても「これに関する本は結構、揃えていますよ」と言える対象にはなり得ない。
また、例えば「銭湯」のように、それに関する本がこれまであまりなかったものでも、近年になって注目されるようになり、銭湯エッセイや、街の銭湯案内、タイル絵のコレクションなど、相次いで出版されるようになると、ある時「もう、いいや」というように急に気持ちが萎えてしまって、あまり欲しくなくなる。もちろん、「銭湯」そのものが好きなことには変わりはないのだが、以前のように銭湯に関する本なら何でもかんでも……ということにはならない。
私は自分の中でこの現象を「興味のインフレ」と呼んでいて、それに関する本の供給量が増え過ぎると急速に興味が低下してしまうことを指す。そういう意味では、希少な特定の本を対象とした熱心なコレクターというのは、「飢餓感のデフレ・スパイラル」に陥っていると言えるのかもしれない。本の供給量が足りないと、飢餓感が増す。飢餓感が増してくると相対的に供給量がさらに少なく感じられて……。
あるいは、デフレ・スパイラルな趣味には、サディスティックな快感があるのかもしれない。本に対する興味というのは、やはり経済とおなじで適度にゆるやかなインフレが健康的なのだろう。そう、持続的に興味を刺激するように。
読者側が自分の好みの本の供給量をコントロールすることは出来ない。が、興味を持つ対象を選ぶことはできる。ちょうどいい大きさの世界を求めて。
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MK新聞への大西信夫さんの連載記事
1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。
1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)