エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【411】|MK新聞連載記事
MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めてくらしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2022年7月1日号の掲載記事です。
本だけ眺めてくらしたい
1ヶ月に一冊も本を読まない大学生が半数なんて調査結果がたまに報道で話題になったりする。
私は毎日、本を読んでいるが、では逆に、これまでの人生で本を読まない日が最長どれだけ続いたかと考えてみる。
が、それは記憶をたどるまでもない。スキー場のアルバイトのときだ。
大学時代、毎年2月、3月の2ヶ月間、信州は栂池のスキー場で住み込みのアルバイトをした。
リフトの改札や雪かき、監視などの仕事。一回生から三回生まで、3シーズンやった。
アルバイトは、ゲレンデのカフェやレストランで働く女性も含め200人以上いて、宿舎はビル一棟に全員が相部屋をあてがわれた。
シーズンが始まる12月初めから、アルバイトが全国から集まってくるのだが、四人部屋のちゃんとした部屋から順に埋まっていき、私が参加する2月ごろにはもう、まともな部屋は残っていなかった。
何も知らない1年目、私が案内された部屋は、ビル内なのに、木造の小屋だった。
そこは皆に「ピステン小屋」と呼ばれていた。ピステンはゲレンデを整地する圧雪車で、つまり、ピステンの車庫の高い天井に張り付けるように設えた付け足しの部屋だった。
ピステン小屋は大小二部屋あって、1年目は、窓もない小さな部屋に二段ベッドを五つ押し込んだ、窒息しそうな小部屋だった。
2、3年目は、1ダースほどの二段ベットがずらりと並ぶ大部屋だった。
こちらは、窓はあるにはあるが、窓の外も車庫内だから、真下にピステンが見えるだけだった。
ところが、このピステン小屋での日々が、とびきり楽しかった。
仕事を終え、従業員食堂で夕食をさっさと済ませると、ナイターの営業時間中は皆、もくもくとスキーの練習をした(もちろん、従業員はリフトはタダ。ナイター勤務の当番は交代制)。
そして、ひと風呂浴びてからがピステン小屋ならではの時間で、毎日が修学旅行の夜のように、大部屋のあちこちでヤロウどもが集まっておしゃべりをしたり、ゲームをしたり、酒を呑んだりして騒いだ。
アルバイト仲間の女性を誘って居酒屋にでかけたり、日によって異なる顔ぶれでチームを結成してナンパにくりだしたりもした。
2年目からは「ピステン小屋は空いてますか」と自ら希望した。
初日の仕事を終えて部屋に戻ると、前年と同じ顔ぶれが何人もいた。
ちなみに、四人部屋に空きが出ると移っていく人もいて、好きこのんでピステン小屋にいるメンバーについて「ピステン小屋の連中は……」とか「おまえ、ピステン小屋か」などと、あきれ顔で言う上司もいた。
それはともかく、2ヶ月の住み込みだから、1年目は何冊も本を持ち込んでいたはずだが、読んだ記憶がない。
そんな、自分だけの時間はまったくなかったのだ。
2年目からは、本はもう持って行かなかった。
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MK新聞への大西信夫さんの連載記事
1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。
1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)