エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【337】|MK新聞連載記事

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エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【337】|MK新聞連載記事

MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めてくらしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2016年5月1日号の掲載記事です。

本だけ眺めてくらしたい

前号「では、今回、春画展が解禁されたのはなぜだろう」で紙幅が尽きたので、その続き。

やはり、成人マンガやアダルトビデオ、ネット上の猥褻画像や動画の氾濫、過激化といった社会環境の変化が理由の一つとして挙げられる。
いや、それ以上に今の私たちが、春画独特の表現や様式に性的リアリティを感じられなくなったからかもしれない。
そう、もはや春画を観てもエロいと感じない。
ひと時代前の殿方のように、春画=淫らな気持ちになれる記号、つまり反射条件としてすら機能しなくなったのだ。

そして、直接のきっかけとなったのが英国の大英博物館で二〇一三年に開催された春画展。
「世界が認めた」が大好物な日本人にとって、得意技の逆輸入をする好機である。
しかし、タブーは二十一世紀の今も意外に根強かったようだ。
会場の確保も難航し、容易には実現しなかったという。公立美術館は問題が起きたときの責任問題、私立美術館はスポンサー企業のイメージダウンのリスクを避けたいということらしい。
いずれにせよ、取り締りの可能性がある限り、それなりの予算をつぎ込む事業としてはゴーサインは出せないだろう。
おそらく、春画展の主催者と当局の間で何らかの事前の調整があったのではないかと想像できる。

が、もし美術関係者が展示作品に関して御上にお伺いをたてたり、それに対応する形で国家権力による検閲ととられかねない行為があったりしたとすれば、そのほうが大きな問題になりかねないので、そんなことを認めるはずないだろう。
ともかく、春画展は東京、京都とも無事に終了した。
考えてみると、この「春画展」については警察沙汰にならなかったというだけであって、春画の展示一般が解禁になったわけではない。
現時点の日本で「政治的に正しい」視点で選択された春画だから公開できたのだろう。「高い技術と芸術性」「豊かな想像力と諧謔」「包容力ある日本独自の文化」「性愛を謳歌する庶民をおおらかに」「男性目線だけでなく、性愛に主体的な女性の姿も描く」……ただ、そんな特質は春画のオモテ面でしかない。
もっとも、猥褻取り締まりの是非は別にして、単に性交や局部が描かれただけで興味深い見所のない春画を、美術館に展示する理由なんて、そもそもないだろうが。

 

MK新聞について

「MK新聞」は月1回発行で、京都をはじめMKタクシーが走る各地の情報を発信する情報紙です。
MK観光ドライバーによる京都の観光情報、旬の映画や隠れた名店のご紹介、 楽しい読み物から教養になる連載の数々、運輸行政に対するMKの主張などが凝縮されています。
40年以上も発行を続けるMK新聞を、皆さま、どうぞよろしくお願いします。

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MK新聞への大西信夫さんの連載記事

1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。

1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)

 

本だけ眺めて暮らしたい バックナンバー

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