エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【336】|MK新聞連載記事
MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めてくらしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2016年4月1日号の掲載記事です。
本だけ眺めてくらしたい
「春画展」を観てきた(京都市・岡崎の細見美術館で2016年4月10日まで開催)。
春画をテーマにまとまった数の作品を公開する展覧会は、日本で初めてだということ。
それで、東京の永青文庫で昨年開催された「春画展」は大きな話題になった。その巡回展が京都にやってきたわけだ。
そもそも、これまで春画展が「タブーだった」ということが意外に思える。
出版物は既に二十五年以上前から無修正の春画を掲載した画集や関連書籍が書店に流通しているのだから。
近年では、平凡社のムック「別冊太陽」が春画シリーズでヒットを放っている。
美術の専門家や春画鑑賞が趣味の好事家でなく、一般読者が対象の「別冊太陽」は本屋の店頭で目立つ棚に面出しされることもある。
未成年の少年少女の目に触れないようにするなら、むしろ美術館のほうが改札で入場禁止の措置ができる。
が、出版物は大型書店の美術やその雑誌コーナーに行けば中高生でも見放題だ。
ところで、「別冊太陽」なら無修正春画OKなのに、春画展に関する記事を作品の写真とともに掲載した複数の週刊誌に対しては警視庁から口頭指導があったという。
単に春画を掲載したからではなく、出版物の特性や見せ方などで判断するということなのだろう。
「猥褻」取り締まり当局の基準の曖昧さや、現実の矛盾した状況を指摘する声は多い。
しかし、当局にしてみれば、はっきりした線を引かないことこそが、またその上で個別対応することが、彼ら(彼女もいる?)の仕事なのかもしれない。
では、これまで春画展の何がNGだったのだろう。
印刷物という複製ではなく、見せるのがオリジナル=実物だからか(哲学的だな)。それとも、出版物のように閉じた状態で流通するのではなく、明けっ広げに、見せる状態で陳列する行為だからか。
あるいは、個人が密かに鑑賞するのではなく、集まった不特定多数の人々の視線が春画を絡めて交錯する状況が「公序良俗」を乱す恐れがあるからか。
確かに、春画そのものよりも「春画を観ている若い女(男)の顔」を観ているほうがエロいと感じるオッサン(オバサン)が、春画展にはやって来るかもしれない(笑)。
では、今回、春画展が解禁されたのはなぜだろう(残念! 続きは次回)。
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MK新聞への大西信夫さんの連載記事
1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。
1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)