エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【334】|MK新聞連載記事
MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めてくらしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2016年2月1日号の掲載記事です。
本だけ眺めてくらしたい
狭義の電子辞書つまり専用機を初めて買った。カシオのEX―wordだ。
電子辞書はこれまで、コンピュータにインストールするCD―ROM版を使っていた。
先日、久しぶりに会った友人と「最近買ったもの」という御題で雑談をしていて、「なんで今ごろ?」と突っ込まれた。「ネット、スマホで事足りるやん」と。
酒の場で、共感を得て盛り上がる話ではなさそうなのに真顔で持論を展開しようとは思っていないので、「いやそれが、いじってると結構おもしろいんですって(笑)」と軽く流し、「他に何か買いました?」と素早く球を投げ返した。
今「軽く流した」と言ったが、この単に「いじってると、おもしろい」は案外、〈楽しみ〉というものの本質なのかもしれない。
人はそれぞれ自分にとって、事足りればいいことと、事足りるかどうかが要点ではないことが、異なっているだけなのだろう。
電子辞書というより、紙の辞書も含め、私にとっては辞書そのものが、「いじってると、おもしろい」ものの一つだ。
専用機の長所短所についてはここで触れない。
というのは、ある統計によると電子辞書の市場は二〇〇七年をピークに出荷台数は縮小。今ではその半分以下にまでなっている。
既に世間に行き渡った製品であり、その特徴など、今ごろ買ったばかりの私が得意げに言うまでもないからだ。
ただ、逆にそれこそが「なんで今ごろ?」の答えだとも言える。
電子辞書のコンテンツ(搭載する辞典、事典、学習教材、趣味のガイドなど)は今や数が多過ぎるほど(必要ないものも少なくない)。性能や機能は高く多く、製品として十分に熟した。動作は安定し、操作性も改良、洗練されてきた。
つまり、電子辞書が「枯れた」製品になったから。
私は、それまでにない新しいタイプの製品が発売され欲しいと思うと、未成熟でもいち早く飛びついて使い始め、買い換えてゆくものと、枯れるまで十年以上でも待つものと、両極端に分かれる。
前者の例だと、電子書籍リーダーがそう。自分の中で両者を分ける要素はいったい何だろうか。
あなたは新製品に飛びつく派? 待つ派? いつもそう? 多くの人はブームになれば買う。というか、皆が同時期に買うからブームか。
今、自宅では部屋を移動するときも電子辞書を常に持ち歩いている。
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MK新聞への大西信夫さんの連載記事
1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。
1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)