自給自足の山里から【163】「父の遺言状」|MK新聞連載記事

よみもの
自給自足の山里から【163】「父の遺言状」|MK新聞連載記事

MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、縄文百姓の大森昌也さんらによる「自給自足の山里から」を、1998年12月16日~2016年6月1日まで連載しました。
MK新聞2012年9月16日号の掲載記事です。

大森昌也さんの執筆です。

父の遺言状

泥と汗にまみれて

今年の夏は、あつい。太陽の日差しのつよい昼間をさけ、朝早くか、夕方に田んぼ・畑しごとをする。
しかし、この時間帯では、ブト(ブユ)の群れにおそわれる。
「百姓体験居候」の若者(女性)は、顔が“お岩さん”のように腫れ、帽子を深く被って、帰りの電車に乗る。

夏は、勢い盛んな草との格闘である。
田んぼで、腰をかがめて稲のササが顔にささるなか、泥に足をとられながらの作業である。
私が動くと、カエルがピョンピョン、オタマジャクシがジョロジョロ、トンボ・イナゴらがとびはね、タガメがひっこりと首をもたげる。
私の気付かない小さな生き物たちも蠢(うごめ)いていることだろう。
泥と汗にまみれてのビールと五右衛門風呂は、気持ちよい。

 

31歳で現地召集され、戦病死の父

67年前の夏もあつかった。フクシマに思いはせつつの8月6日のヒロシマ、9日のナガサキ、そして15日の敗戦!

その日、大きな皇居の前の広場で、ひざまずく人々の姿(写真)が目に焼きついている。
自決した人もいる。さかさまな感じがぬぐいされない。

90歳の母(田鶴子(たづこ))が病に倒れ、部屋を整理していた妹(和子(かずこ))が、「古いタンスの中からこんなものが出てきた」と、風呂敷に包まれた文書を見せる。
祖父母・母宛の父の“遺言状”である。昭和20年(1945年)5月20日、応召(軍人でない若者が兵隊にさせられること)の前日の日付がある。

 

遺言状

一度、御召し受けた以上、生きて再び帰還しようと思わない其の覚悟は、何人にも劣らず自信あり、又、其の御奉公に於ても然りであります。
熊山のふもとで生れた私の精神は、常に若い血潮に燃えています。
小生無き後の昌也に、其の心構・意気を、十二分に伝えて、昌也の教育に遺憾なきを期して下さい。
人生・社会に於て、個人的なことで不可能なことはない。他人がしている事で不可能なことは意思が強くないことであり精進が足りないことである。
昌也は意思の強い精進家の人間になることが第一歩です。

昌也の指導は難しいかと思います。
しかし、親として其の使命感に徹したら、又、不可能にあらず。和子は、日本婦人らしい女性に教育すること。
(略)田鶴子は、終始、昌也和子を忘れないこと、すなわち、二人を小生の理想的教育すること。(略)
如何なる道を選ぶも可なるも、昌也和子の教育を忘れないこと。

父上・母上様
田鶴子  様 寿賀雄(すがお)

父は、昭和14年(1939年)に内蒙古に渡り、承徳(しょうとく)県農事合作社に勤め、母と結婚し、私と妹が生まれる。
そして、敗戦色濃い昭和20年(1945年)5月21日に現地召集、兵隊にとられる。
その前日に“遺言状”を残す。
8月15日以降、外蒙古に抑留され、その年の11月30日に戦病死する。行年(死んだ時の年齢)31歳だった。

 

笑う父に抱きしめられたかった

後日、父の戦友が何かの酒の席で、「お前の親父はバカ正直な男だった。私は、まだ混乱期で、ドサクサにまぎれて帰ってきた。一緒に帰ろうと言ったが、やれ侵略の責任があるからとか言うて、とどまって、病気になって死んだ」とポツリと言う。

父の恩師に、一度会った。「お父さんが、満洲に行く前に来た。相談に来たんだが、私は行くなとも行けとも言えなかった。その時のなんともいえない暗い表情が忘れられない」と、自戒の念をこめて話してくださった。

3歳になったばかりで父と別れた私は、父をほとんど覚えていない。遺影を見ても、伝わってくるのは「こわい!」という感じである。
きびしくも、苦悩多き父を思う。

あれほど、私 昌也や妹和子の教育・子育てに、思いや理想を抱いていた父。
生きておれば、きびしく、こわくとも、時には笑い、たのしき姿に接し、格闘しながら育ち成長していた私をいつくしんでくれたであろう。
生きていたら私の人生も大きく変わっていたであろう。母に感謝しつつ思う。

今、父の生きた年齢(31歳)の倍を生きている。
私に託した思いをどこまで生かしているのか? 自責にとらわれる。

天皇の命令で、侵略の先兵として銃を持ち、持たされながら“自らの責任”を問い、死んだ父。
自らの“責”を問うことなく、生きてきた天皇。笑って、私を抱きしめる父に会いたかった!

天皇が被災地を訪れ、ひざまずき、手をとって、なぐさめている姿を見て、違和感を覚えた。
まず、あなたがやることは、かつての昭和天皇でない自分として、政府・東電らの責任を、人々と共に問うことではないか!?

あ~す農場の8月15日

8月15日。あ~す農場は、神戸から中学生ら8人、大阪・東京から「居候」の若者11人に、代人一家5人、きくち一家3人ら、30名近い者であふれ、食卓を囲む。

朝、山羊・鶏たちにエサやりし、娘のあいの焼いた天然酵母パンを食べ、子どもらは川でサワガニ・魚をとり、若者は田畑の草とりをし、昼食は子どもらも手伝って、手打ちうどん。
その後、ケンタ作のスイカ。夕食は、アイガモの命をいただいて捌(さば)き、カレー。
食後は、りさ子(絵描き百姓)の“もりのくらし”の紙芝居!! などの日を過ごす。父の“遺言状”を、みんなの前で神戸の田中英雄さんが朗読してくださる。

 

あ~す農場

兵庫県朝来市和田山町朝日767

 

MK新聞について

「MK新聞」は月1回発行で、京都をはじめMKタクシーが走る各地の情報を発信する情報紙です。
MK観光ドライバーによる京都の観光情報、旬の映画や隠れた名店のご紹介、 楽しい読み物から教養になる連載の数々、運輸行政に対するMKの主張などが凝縮されています。
40年以上も発行を続けるMK新聞を、皆さま、どうぞよろしくお願いします。

ホームページからも最新号、バックナンバーを閲覧可能です。

MK新聞への「あ~す農場」の連載記事

1998年12月16日号~2016年6月1日号
大森昌也さん他「自給自足の山里より」(208回連載)

2017年1月1日号~2022年12月1日号
大森梨沙子さん「葉根たより」(72回連載)

この記事が気に入ったらSNSでシェアしよう!

関連記事

まだ知らない京都に出会う、
特別な旅行体験をラインナップ

MKタクシーでは様々な京都旅コンテンツを
ご用意しています。