フットハットがゆく【195】「AD麻痺3」|MK新聞連載記事

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フットハットがゆく【195】「AD麻痺3」|MK新聞連載記事

MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、塩見多一郎さんのエッセイ「フットハットがゆく」を2001年11月16日から連載しています。
MK新聞2010年3月1日号の掲載記事です。

AD麻痺3

『B-TRIBE TV』という、ストリートダンス番組を今年から制作しています。
毎週木曜、夜12時からKBS京都テレビで、大阪や滋賀も映りますのでぜひ見てください!

ということで、僕がテレビの世界に入った頃のAD思い出話、第3弾です。
名前こそアシスタント・ディレクターと格好よさげですが、基本的には雑用・何でも係です。
徹夜徹夜の毎日、10日も風呂に入らないのは当たり前、命にかかわるような失敗もおかしつつ、まさに3K「きつい(Kitsui)」「汚い(Kitanai)」「危険(Kiken)」な仕事なわけです。
でもまぁごくたまに、同じKでも「感動(Kandou)」があるわけです。

20歳そこそこの頃に、ADとしてヨルダンに撮影取材に行きまして、日本人のパックツアーを追いかけていました。
その頃はちょうど湾岸戦争が終結してまだ数ヵ月しか経っていないという頃でした。
ツアー客は年配の方が多く、中には太平洋戦争に実際に出兵された方もおられました。

ある日の観光日の話…。
砂漠の中に地割れのような谷があり、そこにある世界的に有名な遺跡を観光するには、車が通れない道を馬で移動しなければなりませんでした。
撮影隊とお客さんは全員馬で移動を開始しましたが、人数分の馬が足りず、下っ端の僕だけホテルに取り残されました。
後から補充された馬に乗って、先発隊に追いつこうと僕は必死に馬を駆りました。
子供の頃に林間学校で乗馬体験しただけなのに、なぜか僕は乗馬が得意なんです。
そして、馬があまりにもよく駆けるもんで気持ちよくなって、ついついお客さんも撮影隊も追い抜いて一番で遺跡に着きました。
砂煙をたて、撮影の邪魔をしたといってディレクターにぶん殴られました。

その後もめげずに砂まみれになって一生懸命仕事をこなしたその晩、ホテルで食事中、例の太平洋戦争の方にテーブルに呼ばれました。
「私は今日、非常に感動しました。私は最近、日本の若者に非常に失望しておりました。しかし、今日のあなたを見て、大陸に出兵した頃を思い出しました。あの頃私が馬で砂漠を駆けた姿、苦労が思い出されました。」
僕は、撮影用の三脚を担いで馬に乗っていました。
それは機関銃のように見えたでしょう。
撮影ライトの業務用バッテリーを胸に何個もぶら下げていたので、それは銃弾のカートリッジに見えたでしょう。
ADの象徴、パンパンのリュックサックとウェストポーチには食料や手榴弾が詰まっているように見えたかもしれません。
砂漠の中、馬で駆け、砂まみれで走り回り、上官にぶん殴られてもめげずに働く一兵卒…。
「今の若い人も、私の知らなかった所で必死に頑張っているということが分かって、それだけでもこの旅行に参加した意味がありました…」と言われました。
大映像作家を目指して上京したものの、下っ端ADとして家畜のようにこき使われ、生き方そのものに疑問を感じていた中、少しだけ自分の存在価値が認められた気がして、嬉しくて泣きましたね。
いろいろ嫌なことや悔しいことが、一気に流れさる瞬間がたま〜にあって、それがあるからやめられないんですね。

 

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