エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【338】|MK新聞連載記事
MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めてくらしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2016年6月1日号の掲載記事です。
本だけ眺めてくらしたい
近年、LGBTという言葉が広く一般に知られるようになってきた。
L=レズビアン(女性同性愛者)、G=ゲイ(男性同性愛者)、B=バイセクシャル(両性愛者)、T=トランスジェンダー(心と体の性が一致しない人など)を指すそれぞれの英単語の頭文字から成り、性的志向や性自認は多様であることを表現している。
性の多様性が社会的に認知されるようになってくると、それは辞書にも反映する。
例えば、明鏡国語辞典第二版(大修館書店)で「恋愛」を引くと「異性同士(まれに同性同士)が互いに恋い慕うこと。また、その感情」と説かれている。
もっとも、明鏡のような辞書はまだ例外で、広辞苑第六版(岩波書店)の「恋愛」の語義「男女が互いに相手をこいしたうこと。また、その感情」と同様、ほとんどすべての国語辞典は、恋愛において同性間のそれには言及しない。
ところで、「親子丼」を辞書で引いた話は前に書いた(第335回)。
その際、料理名としての「親子丼」以外に、性的な俗語として「親子丼」に次のような意味があることを記した辞書をいくつか紹介した。
例えば、「母親とその娘との両方と肉体関係をもつこと」(『大辞林』第一版)。
この語釈では、母娘親子と肉体関係を持つ相手が男性か女性かを示していない。
それはこの語釈の執筆者にとって男性であることが自明だからだろう。
さらに言えば、書き手はヘテロセクシャル(異性愛者)の男性であり、男性主体――つまり男目線でこの語義を記している。
次に、「母親とその娘の両方に、肉体交渉を持つこと。また、一人の女性に、父と息子の両方が肉体交渉を持つこと」(『大辞泉』第一版)
この辞書は、親子の側が女性だけでなく、男性の場合もあることを示している。
ただ、語釈の前半と後半で文章の構造をわざわざ反転し、あくまで女性を客体、男性を主体にしているところが興味深い。
女性が親子であれ、男性が親子であれ、女をプレイのお相手と見なす〈男の行為〉として記述している。
また、いずれの語釈も親子が同性で、その性交渉相手は異性だ。
親子が異性の場合や三人とも同性の場合を国語辞典は想定していないようだ。
蛇足だが、私が好きなアトム・エゴヤン監督の映画『クロエ』は、娼婦クロエがある女医と、次にその息子と性的関係を持つ。
そもそも女医がクロエを雇い自分の夫を誘惑させたのが発端という“愛のサスペンス”。
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MK新聞への大西信夫さんの連載記事
1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。
1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)