フットハットがゆく【258】「辰吉 前編」|MK新聞連載記事
MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、塩見多一郎さんのエッセイ「フットハットがゆく」を2001年11月16日から連載しています。
MK新聞2015年5月1日号の掲載記事です。
辰吉 前編
先日、辰吉寿以輝(じゅいき)選手が18歳でプロボクシングデビューし、2R KOで勝利しました。
寿以輝選手は辰吉丈一郎選手の次男です。僕は浪速のジョーこと辰吉丈一郎世代なので、今回はその想い出を書きます。
辰吉選手は1970年生まれ、僕は69年なので年も近く、思い入れも強かった選手です。
僕は二十歳の頃、東京の大学を中退して、TV制作会社で働いていました。
地方から東京に出て、水に合う人、合わない人がいると思いますが、僕はなかなか馴染めずにいました。
いつも会社の上司、元アマチュアボクシング出身の上司に、ミスをして殴られていました。
そんな頃、関西弁ばりばりの辰吉選手が爽快なKOで勝つ試合をテレビで初めて見て、一気に惚れてしまい、試合はテレビで欠かさず観るようになりました。
91年、WBC世界バンタム級初挑戦、対グレグ・リチャードソン(米)、KO勝ち!
当時の日本記録であるプロ8戦目で世界チャンピオンになった辰吉選手。この試合のビデオは何回見たか忘れるくらい、何回も見ました。
何か仕事で嫌なことがあれば、このビデオを見てストレスを解消していました。
若くして世界チャンピオンになった辰吉選手に対し次戦の期待が膨らみましたが、ここでなんと網膜裂孔という眼の病に陥り、1年のブランクを作りました。
復帰後の試合でメキシコのラバナレスに破れ、王座陥落。
この頃、僕は東京での生活をあきらめて、京都に舞い戻りました。
東京で作った借金を返すため、京都で陰惨たる生活を送っていました。
一度は敗れた辰吉選手ですが、再びラバナレスに戦いを挑み、見事勝利。
世界王者に返り咲きました。が、その直後に今度は網膜剥離という、さらに重い眼の病に…。
当時の日本のボクシングでは、網膜剥離にかかった選手は失明の恐れがあるため即引退、というのがルールでした。
海外では、網膜剥離も手術で完治すればプロボクサー復帰可能、というルールでした。
辰吉選手は手術後、海外で試合を重ね、ついに日本ボクシングのルールまで変えて、日本に復帰。
日本人世界チャンピオン、薬師寺保栄選手に挑みました。
この試合の時の興奮は忘れもしませんが、とにかく辰吉選手が判定負けとなったので、異様に悔しかったのを覚えています。
その後の辰吉選手は、世界戦に挑戦しては負け、挑戦しては負け、意地で現役は続行したものの、もう辰吉の時代は完全に終わったといわれていました。
そして96年、辰吉選手が戦った中でも一番強いのではないかといわれたタイの若き世界王者、シリモンコンに挑戦…なんとKOで勝ってしまうのです。
この試合の頃、ぼくはもう自分の夢をあきらめようかと悩んでいた頃でしたから、辰吉選手の世界王者復帰が本当に嬉しく、そして自分の夢も続行することにしたのを覚えています。
その頃から、毎試合会場に足を運び、辰吉選手の試合を生で観戦するようになりました…。
つづく
※辰吉丈一郎…本来の表記は、吉は土に口。丈には右上に点がつきます。
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