フットハットがゆく【251】「250」|MK新聞連載記事

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フットハットがゆく【251】「250」|MK新聞連載記事

MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、塩見多一郎さんのエッセイ「フットハットがゆく」を2001年11月16日から連載しています。
MK新聞2014年10月1日号の掲載記事です。

 

250

フッと思ったこと、ハッと気づいたことを書き続けたこのエッセイが250回目に突入したのが前回。
あしかけ15年でした。「今号は特殊号だから休んでくれ…」と編集者から言われた回以外は、自分の意思では1回も休んでいません。
我ながらまあまあのことやと思います。
もともとこのMK新聞にエッセイを書き始めるきっかけとなった話をしますと、1996年〜7年まで僕はMKタクシーのドライバーだったのです。
歳でいって27〜28の頃です…。

なぜタクシードライバーになったのかというと、子どもの頃の夢がいくつかあったのですが、学校の先生、映画監督、タクシードライバー…という。
なぜそういう3つになったかを言いますと、「小学校の頃の先生の影響を受けて」「スピルバーグのE.T.を見て」「運転がうまくて物知りそうでかっこいい」という子どもっぽい理由です。

中学の頃から映像一本の目標になり、大学も某大学の芸術学部の放送学科、東京の映像制作会社に就職して様々な経験をしましたが、若気の至りで借金を作って地元京都に舞い戻り、工場で働いて借金を返しつつ、映画ドラマ撮影所でバイトしつつ、高校時代のつてでマルチメディアの会社に就職しました。
映像やコンピューターのことを学びつつ仕事をしつつ、しかし、馬鹿は直らないのか、また借金を作り、その会社の給料ではとうてい返し切れないので、もうちょっと高給で、しかも人間的に経験値を増やせて…と思い、子どもの頃の思いも重なり、タクシードライバーに転職しました。
96年27歳ですね。

とにかく若い頃というのは、人生70年、80年という発想がなくて、幕末ファンだったから、高杉晋作は27歳で死んだ、とか、坂本龍馬は30ちょいで死んだとか、スピルバーグは28歳で映画「ジョーズ」を作ったとか、そこまでの年齢で何か成し遂げなくてはっ…という刹那的なものの考えでしたから、20代の後半というのは人生、焦りまくりでしたね。
忘れもしません、「723」というのが僕の乗っていたタクシーの無線番号で、僕の前に723に乗っていたいわゆる直属の先輩がOさんという方で、723を降りた後、MKの事務職に就かれたわけです。
人生に焦りまくりの僕はMKをやめて30歳の頃に、それまでの人生で出会った人々に感謝するため、自伝を書いてそれを出版社に売り込んだ結果、出版することになり、それを知ったOさんが、当時MK新聞のエッセイ欄に空きができたので書かないか…と打診してくださり、じゃぁ、と書き始めたわけです。
本の方は全く売れませんでしたが、エッセイの方は15年、250回続ける結果となりました。

さて、250回というと、もう一つ僕の中でありまして、2010年から放送を開始したKBS京都放送の「B-TRIBE TV」というストリートダンスのテレビ番組のディレクターを僕がしているのですが、毎週の30分放送で、5年間1度も休まず、この10月に250回放送を迎えます。
15年続けたエッセイと5年続けたテレビ番組が同じ時期に250回を迎えるということで、ちょっと感慨深げになった筆者でした。
テレビのことはまた次回書きますね。つづく。

 

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