エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【356】|MK新聞連載記事
MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2017年12月1日号の掲載記事です。
本だけ眺めて暮らしたい
本、特にお気に入りの小説はことあるごとにくりかえし何度も読んでいるという人がいる。
読んだ年齢や、それまでに登場人物と同じ経験をしたかどうかにより、感じることや印象的な箇所が違うともいう。
映画なんかもそう。若いころに観たときはピンとこなかったところが、歳をとると身に染みるようになった、なんて話もよく耳にする。
それと同様に、私は、おばあちゃんがしてくれるいつもの同じ話を聴くのが好きだった。
小学校のころの日常生活。勉強がよくできたという自慢話。男の子と喧嘩した武勇伝。かつての家業のこと。妹弟のこと(おばあちゃんは七人姉弟の長女で親代わりになって皆の世話をした)。戦争で死んだおじいちゃんの身の上ばなし。娘や息子(私の母や叔父)の子どものころのこと。そして、私が小さかったころのこと、など。
何度も何度も聴いたから、物忘れをするようになったおばあちゃん自身より、私のほうが詳しいぐらいだった。
それでも毎回、私は初めて聴くかのように相づちを打ち、つっこみを入れ、質問をした。
ある時、おばあちゃんの話をいつか聴けなくなる日がくるかもしれない、いや、必ずやってくるだろうその日に備え……と思い、内緒で話を録音するようになった。
テーブルの下で見えないように録音ボタンを押し、さりげなくおしゃべりをしながら、将来、おばあちゃんが死んだら、私はこの録音を聴くのだろうと思った。
こちらから話題をふったり、録音したいエピソードを引き出すために誘導したりした。「子どものころの歌を唄って」とねだったりもした。
ここに2000年10月7日と日付を記したカセットテープがある。
おばあちゃんが満88歳で亡くなったのが2007年1月だから、六、七年も前の録音になる。
まだまだ元気だった。というか、急性心筋梗塞で死んだから、その日の朝も、きょう死ぬなんて思いも寄らなかったが。
やがて、録音はデジタル機器になり、コンピュータを開くと、亡くなるふた月半前の2006年10月23日までの録音データが、数秒から二、三〇分まで長短合わせ数十ファイル並んでいる。
再生ボタンを押せば、今もおばあちゃんの同じ話を聴くことができる。ただ、哀しいかな、本や映画のように完全に同じ話だけれど。
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MK新聞への大西信夫さんの連載記事
1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。
1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)