エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【342】|MK新聞連載記事
MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めてくらしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2016年10月1日号の掲載記事です。
本だけ眺めてくらしたい
テレビの海外(主にアメリカだが)ドラマはおもしろい。
『ホーム・ランド』や『ハウス・オブ・カード』『ブレイキング・バッド』などが、私のお気に入りだ。
これらのドラマは、観る人の「この先、どうなるんだ?」という疑問や興味を掻き立て、引っ張り続けるよう巧妙に脚本が練られている。
毎回「えっ!」という場面で終わる。例えば、善人と思われていた人の怪しい行動を主人公が偶然目撃する――とか。
で、放送なら次週が待ち遠しくて堪らず、配信や、DVDがあるなら、深夜でも次々と観続けてしまうことになる。
そのような、視聴者の期待を宙ぶらりんの状態にし、先を観ずにいられなくする手法をクリフハンガーというそうだ。
クリフハンガーには大きさがあり、CM前に小、1話の終わりに中、シーズン最終話に大が仕掛けられる。特に、次期まで数ヵ月から1年のブランクがあるシーズン最終話は、記憶に残る衝撃の展開である場合が多い。
ただ、この業界は競争が激しく、たとえ一時期注目を集めたドラマでも次期で高視聴率が見込めなければ新シーズンは制作(発注)されない。それどころか、ほとんどのドラマはシーズン1で打ち切られてしまう。
1で終了したドラマはもちろん、微妙な視聴率だが何とか2のゴーサインが出たものの数値は伸びず、途中で打ち切りが決まったドラマは、シーズンをまたぐような、物語のメインとなる主人公のミッションは完遂されずじまい、サブストーリーの謎は解明されずじまい、ばら撒いた伏線は回収されずじまいの尻切れトンボでも、局の勝手で放送を終了する。
中には、起死回生の策か破れかぶれか、打ち切り覚悟の上で、1の最終話に強烈なクリフハンガーをぶち込んでくるドラマさえある。結局、2は制作されず未完……。
10時間、20時間以上も観てきたのに、結末がわからずじまいとは!
これって未完成の商品を世に出す無責任なビジネスでは?と思う。
その一方で、物語は「危機は回避した」「犯人は誰だった」とひとことで言えるような結末がすべてではなく、途中そのものも楽しむもの、いや途中こそが物語そのものだという気もしないではない。
小説や、旅や、人生のように。
実際、ドラマも毎回の今を楽しんで観ていたのは事実。その世界がやがてプツリと途絶えるなんて想像もしないで。
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MK新聞への大西信夫さんの連載記事
1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。
1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)