フットハットがゆく【259】「辰吉 後編」|MK新聞連載記事
MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、塩見多一郎さんのエッセイ「フットハットがゆく」を2001年11月16日から連載しています。
MK新聞2015年6月1日号の掲載記事です。
辰吉 後編
5月20日に、ダンサーからシンガーになったMOMOの2ndシングルCDが全国発売になります。
ジャケットの撮影とデザインは僕が行いましたので、どうぞよろしく。
「SHOW UP!!!!」という曲です。『MOMO SHOW UP』で検索してもらえればすぐ出てきます!
宣伝ついででいきますと、もう放送開始から6年目に突入していますが、毎週木曜日、KBS京都放送で24時から『B-TRIBE TV』というストリートダンスの番組ディレクターをしていますので、こちらも興味ある方はチェックしてくださいね!
さて前回、辰吉寿以輝(じゅいき)選手が18歳でプロボクシングデビューしたのをきっかけに、その父、浪速のジョーこと辰吉丈一郎選手の想い出を書きました。
今回はその後半戦です。
97年、シリモンコンに勝って世界王者返り咲きを果たした辰吉選手。
僕も少し生活に余裕が出てきたので、生で試合を観に行くようになりました。
横浜で行われた2度目の防衛戦も横浜まで観に行きました。
新横浜の駅をおりると、ものすごい人だかりで、え? もしかして辰吉がやってくるのを待ち受けてるの? と思って人に聞いてみたら、前日甲子園で優勝した横浜高校が帰ってくる、とのことで僕もミーハーなので人だかりに混じって待ちました。
結構な至近距離で松坂大輔投手を見ましたよ(笑)。
辰吉選手の試合はというと負傷判定というかたちで消化不良の感はありましたが、僕は辰吉選手の鍛え上げられた背筋を生で観られただけで、横浜まで来た甲斐はあったと思いました。
98年、3度目の防衛戦を大阪に観に行った時の相手がタイのウィラポンという選手で、リング入場の時に大阪のファンに囲まれて、おびえるような表情をしていたので、これは楽勝やな、と思っていたのですが、なんと壮絶な打ち合いの末、辰吉選手は失神KOで仰向けにぶっ倒れました。
リングに倒れた時のバーンッ! という音が未だに忘れられません。
99年、王者返り咲きを狙ったウィラポンとの再戦は、大阪ドーム(今の京セラドーム大阪)で行われました。
日本人のボクシングの試合がドーム球場で行われるなど、辰吉選手の人気がいかにすごかったかがわかります。
僕は2階席から見ていましたが、けっこう早い段階から不利な展開になり、またしてもKO負け。
あぁこれでもう引退だな…と思うと恥ずかしいくらいに客席で泣いてしまいました。
ウィラポンはその後、世界王者を14度も防衛する名チャンピオンになりました。
一方、辰吉選手はその後も引退することはなく、ノンタイトルの試合を続行しましたが、年齢などのライセンス規定により事実上現役続行が不可能に。
それでも現役にこだわりつづけ、引退宣言はせず今に至っています。トレーニングも欠かさないそうです。
『天職に往生際はない』という言葉がぴったりの辰吉選手。
僕もその生き方に影響されて、いい意味で往生際の悪い人生を送っています。
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