エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【406】|MK新聞連載記事
MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めてくらしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2022年2月1日号の掲載記事です。
本だけ眺めてくらしたい
アメリカ連邦議会議事堂にドナルド・トランプ大統領(当時)の支持者ら群衆が乱入したのは昨年一月のことだった。
これまでの一年間で七百人以上が訴追されたとの報道もある。
被告の弁護士がテレビ取材でコメントしているのを興味深く聞いた。
「彼らは誤った情報に基づいて行動した」。
つまり、大統領選挙に不正があったと信じ、その怒りに駆り立てられた行動であり、悪意はなかったと主張している(それが弁護側の戦略という)わけだ。
でも、トランプ氏を熱狂的に支持する被告本人にとっては「不正なんてなかった。ジョー・バイデン氏が正々堂々と勝利した」とは決して認めたくないはずではないか。
それとも、彼らは、刑罰を軽減してもらうためなら平気で信念を曲げる人たちなのか。
ところで、新型コロナワクチンの接種をめぐって、トランプ支持かバイデン支持かで態度がきれいに二分するのも、いかにもありそうなことだと笑ってしまう。坊主憎けりゃなんとやら、か。
バイデン大統領は国民への接種を積極的に推進するが、トランプ支持者は「接種しない自由」を主張している。
それどころか、新型コロナなんてたいしたことない、接種しなくて大丈夫だとマッチョぶる。
ワクチンを打つ打たないは確かに自由だし、それぞれの理由や事情もあって当然だ。ただ、ワクチンを打たないトランプ支持者は、なぜドヤ顔で胸を張るのか。
典型的なトランプ支持者はどうやら女性もマッチョ志向のようだが、今どき「男らしいさま」を誇るのもアナクロ(時代錯誤)でしかない。
それはともかく、緊急事態とはいえ人類初体験のmRNAワクチンにいきなり頭の先までどっぷりつかっていいのか、接種直後の死亡者は本当に関連がないのか、未接種者に対する偏見や差別など、問題や課題、疑問はいろいろある。
けれど、現時点のわれわれの知見では、ワクチン接種を世界に隈なく、できるだけ推進することが是だと、大半が共通の認識を持っている、とは言ってもいいだろう。
ワクチンへの疑問やリスクを抱えながらも苦渋の決断を下し、急を要する厳しい現実になんとか対応しているわけだ。
一方、マスクをしない、ワクチンを打たない自らの態度をことさらに誇示することが目的の人は、ある事実に考えが及んでいないのではないか。
それは、ワクチンを打っている多くの人々のおかげによって、より感染しにくい環境の社会で生活することができているということだ。
もっと言えば、自分は打ちたくないワクチンを打ってくれている人々に頼りながら「接種反対」を貫くことができているということだ。
自分が反対するものの恩恵を享受しながら、推進派や多数派に反対する英雄を気取ったり、「正義」を標榜したりするのは、単に、いいとこどりヤロウではないか。
自分がいいとこどりの立ち位置をとっているという自覚がない人は、新型コロナのワクチン問題に限らず、様々な社会問題に少なくない。
この手の、「反対」を酒の肴に居酒屋に集まって呑むことが大好きな人たちの大声にかき消されがちな、本当の弱者や少数者の声、多様な異見、警鐘を聞きのがさないように気をつけなければ。
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MK新聞への大西信夫さんの連載記事
1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。
1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)