エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【404】|MK新聞連載記事
MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めてくらしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2021年12月1日号の掲載記事です。
本だけ眺めてくらしたい
Amapiano(アマピアノ)という用語をご存じだろうか。
実は、これは音楽ジャンルの名称のひとつで、アメリカのシカゴで発生したハウス・ミュージックが南アフリカで進化したもの。
つまり、今どきの言い方をすれば、「ハウスの南ア変異株」だ。
私も近年のお気に入りで、たまに聴いている。
といっても、ハウス・ミュージックってどんな音楽? という方もいらっしゃるだろうから、説明はどんどんさかのぼってキリがない。
というか、聴いている人たちにとっても、音楽のジャンルやその特徴をいざ言葉で説明しようとすると、それはなかなか難しい。
それでも昨今ならユーチューブで「Amapiano」と検索して、適当に選んだ動画をいくつか観れば(聴けば)、「アマピアノってこんな感じの音楽か」と、なんとなくつかむことができる。
そして、実例を数多く聴けば聴くほど、ある音楽を聴いたときにその曲がアマピアノっぽいか、ぽくないかを分けられるようになる。
そこで気がつく。この過程って、コンピューターのAI(人工知能)がディープラーニング(自ら学習)する仕組みと同様じゃないかと。
いや逆か。人間がやっているように、AIにやらせているのか。
でも、生活実感としては、こんにち私たちのほうがコンピューターのものの見方や考え方を知らずまねているような気がしないでもない。
タスクだの条件だの優先順位だの処理だのリンクだの。
それはともかく、アマピアノについて、こうすればわかっていただけるだろうととりあえず書いたけれど、現実には、それがわかるのはいろいろな音楽を聴いている人であって、ふだん音楽をほとんど聴いていない人は、いくら見本を数多く聴いたところで、わからないような気もする。
リズムかメロディかアレンジか。曲の構成かコードか楽器か音色か。いったいどこに注目するのか。人が、ある曲とある曲を似ていると感じるとはどういうことか。
複数の物体から「猫」だけを他と区別したり、異なる個体なのにどれもが「りんご」だと認識したり、言葉や概念と感覚や現実のあいだにある溝をAIはどうみなし、あしらっているのだろうと、門外漢には興味深い。
一個人の感覚を学習したAI、あるいはビッグデータから学習したAIなど、多種多様無数のAIに囲まれた日常において、そのような溝のあることが現代人の念頭からなくなろうとしているとしたら、人の数だけ感覚が異なる他者とのあいだの壁が見えなくなる。
見えてないから無防備に衝突する。
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MK新聞への大西信夫さんの連載記事
1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。
1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)