エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【391】|MK新聞連載記事

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エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【391】|MK新聞連載記事

MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2020年11月1日号の掲載記事です。

本だけ眺めて暮らしたい

川端康成に「掌の小説」と呼ばれている、とても短い作品群がある。
大正十五年(1926年)に出版された彼の初めての作品集『感情装飾』に収録されている三十五篇は、すべて「掌の小説」である。
興味深いのは、彼がその後も生涯にわたって「掌の小説」を断続的に書き続けたことだ。その数、百二十作品以上とも言われている。
それだけ、彼にとって重要な位置を占める創作だと言えるだろう。
四百字詰め原稿用紙にして二枚から十枚程度が中心だが、なぜ「百二十作品以上」とか「言われている」とか、正確な数を示せないかというと、原稿用紙で何枚以下なら「掌の小説」、などという定義はないからだ。
いや、その長さだけではない。小説なのか随筆なのか判然としないものもある。また、他作品の一部に(の)流用、風俗スケッチ(小説へと昇華、結晶していない)など、「掌の小説」に含めるかどうかは研究者によって判定が異なるようだ(百七十以上という人も)。
「掌の小説」だけを収めた作品集としては『感情装飾』のほかに『僕の標本室』『一草一花』などがあるが、重複している収録作品もあるし、そうでないものもある。
一方で、まさに『掌の小説』という書名のもとに編集した文庫本もいくつか出版されているのだが、こちらも収録数や選択には相違がある。
さらに、川端康成は選集や全集がこれまで幾度も刊行されているが、その中で「掌の小説」のくくりでまとめられた作品も選集・全集によって異なっている。
どこかの出版社で川端康成『「掌の小説」全作品』という、微妙な作品も含めた網羅的な編集で素敵な造本の単行本を出版してくれないかな。
ところで、というか、「そこからですか」という感じがしないでもないが、本稿のはじめに「掌の小説と呼ばれている」と書いたものの、「掌」をどう読むか、実は、はっきりしていない。
私が持っているものでは、旺文社文庫の『掌の小説 五十編』にだけ、表紙にも奥付にも「てのひら」とルビがふってあるが、「たなごころ」だと川端本人に確かめたと主張する人などもいて、少しややこしい。
ちなみに、私のお気に入りは、新潮社版の『川端康成全集第六巻』(昭和四十四年(1969年)発行)。
「掌の小説」のみ百篇を選んで収録したもの。正方形に近いA5判変形で、十分な余白のあるゆったりとした本文組、落ち着いた暗めの赤い布装、函の意匠もいい(第十二巻にも「掌の小説」がなぜか別途十一篇だけ収録されている)。

 

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MK新聞への大西信夫さんの連載記事

1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。

1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)

 

本だけ眺めて暮らしたい バックナンバー

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