エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【365】|MK新聞連載記事

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エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【365】|MK新聞連載記事

MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2018年9月1日号の掲載記事です。

本だけ眺めて暮らしたい

例えば、日本酒の試飲をした人が「飲みやすいですね」と感想を述べたら、造り手や提供した人が「ありがとうございます」と頭を下げる場面を見かけたりする。
ただ、「飲みやすい」って、ほめ言葉なんだろうか。造り手は、そう言われて本当に嬉しいのだろうかと素朴に思うのだが、いかがだろうか。
この場合、馴染みのない人に日本酒は「飲みにくい」というイメージが共有されているということなのだろう。

以前、全国の地酒を取り揃えているという和食の店に友人と何人かで行ったとき、その中の一人の女性が「きょうのお勧めは?」と尋ねた。
店員が「飲みやすいものでしたら…」と答えようとしたとき、彼女は幾分声を張って続きをさえぎるように「飲みやすくなくて結構ですが」と言った。
若い女だと思ってナメられた、とでも感じたのだろう。反応の速さからして、これまでに他所でも同じようなことがあったのかもしれない。
確かに、「食べやすい納豆」と銘打った納豆を納豆好きがわざわざ選んで食べるとは思えない。

食べ物のほめ方では、こんな例もある。
甘い食べ物をほめるときに「あまり甘くなくておいしい」とか、脂っこい食べ物をほめるときに「見た目ほど脂っこくなくておいしい」とか。
そのあとに「でも、ちゃんと素材の自然な甘さがあって」とか「でも、しっかりとコクはあって」などと続く。
この場合は、不自然に甘いものやコクが無いのを脂っこさでごまかしている料理が少なくないという認識をもとに、「そういうものではない」という判定がほめ言葉だということなのだろう。

いずれにせよ、クセや特性の強い飲食物はあまり好まれない時代なのかもしれない。
あるいは、クセや特性の強い食品や嗜好品などを限られた愛好家だけのものにしておくのではなく、もっと広く消費者の間口を広げようとする商業社会の動きが、そのような味覚の傾向をもたらしているのだろう。

味そのものや五感について何も言及していない「飲みやすい」「食べやすい」などという感想は、「誰でも大丈夫だと、私も思う」という意味のほめ言葉として、今や、クセのあるものだけでなく、一般的に使われるようになってきたようだ。
気がつくと世の中、観やすい映画や聴きやすい音楽で溢れている。本は読みやすくても読者は増えないようだが。

 

MK新聞について

「MK新聞」は月1回発行で、京都をはじめMKタクシーが走る各地の情報を発信する情報紙です。
MK観光ドライバーによる京都の観光情報、旬の映画や隠れた名店のご紹介、 楽しい読み物から教養になる連載の数々、運輸行政に対するMKの主張などが凝縮されています。
40年以上も発行を続けるMK新聞を、皆さま、どうぞよろしくお願いします。

ホームページからも最新号、バックナンバーを閲覧可能です。

 

MK新聞への大西信夫さんの連載記事

1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。

1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)

 

本だけ眺めて暮らしたい バックナンバー

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